「座右の銘」と「ことわざ 」の違いとは?分かりやすく解釈

「座右の銘」と「ことわざ 」の違い言葉・カタカナ語・言語

この記事では、「座右の銘」「ことわざ」の違いを分かりやすく説明していきます。

「座右の銘」とは?

「座右の銘」とは?

「座右の銘」は、人間の心情を表す言葉を強く意味するので意味においてはその人物の心情を強く表して道を示す言葉として使用します。

しかし、「座右の銘」は、有名人が述べた抱負のようなものなので、実のところ、一般人が「座右の銘」を持っていたとしても誰も気に留めないです。

「ことわざ」とは?

「ことわざ」とは?

「ことわざ」は考え方においては、人間の心情などはどうでもよく役に立つ教訓であるかどうかのみを重点に置いた言葉です。

なので、役に立たない言葉というのも「ことわざ」になり、例を挙げれば、は「箸よりも重いものを持ったことがない」という「ことわざ」は別に役に立つ意味もなければ、それがどうしたで終わってしまうなど役に立たない教訓も実は「ことわざ」になります。

「座右の銘」と「ことわざ」の違い

「座右の銘」と「ことわざ」の違い

両者の違いは、偉人が残した言葉であるか、なんでもない日常で役に立つか経たないかの知識集であるかです。

知識集が「ことわざ」「座右の銘」が偉人の残した言葉になります。

「座右の銘」の例文

「座右の銘」の例文

・『座右の銘は、終わり良ければすべてよし』
この例は、自分の考え方を示す抱負が「終わり良ければすべてよし」だという例です。

「座右の銘」は抱負のことで偉人が過去に述べた言葉からとってきた言葉を使用することが多くこの例も同様に偉人が述べた言葉を利用しています。

「ことわざ」の例文

「ことわざ」の例文

・『箸よりも重いものを持ったことがないということわざは単なる甘ったれだ』
この例は、役に立たない知識集である「ことわざ」の中に「箸よりも重いものを持ったことがない」という言葉は甘ったれに過ぎないというものです。

なぜなら、この言葉は、ただ単に苦労をしたことがないというだけでそれがどうしたといわれるとそれで終わってしまうが故役に立たない知識になります。

まとめ

まとめ

「座右の銘」は、あり方においては、偉人が過去に残した言葉をそのまま自分の抱負という形で使用しますのでいわば心の支えです。

ですが、「ことわざ」というのは、心の支えというよりも日常の知識集なので心を支えるというより、日常におけるあるあるやそれがどうしたという知識の集まりになります。

なので、「ことわざ」は共感できない言葉集というのもありまして、苦労をしたことがないことを意味する「箸より重いものを持たない」というのは自分から苦労をしないという意味で共感できる要素はありません。

逆に「座右の銘」は共感できるポイントがあり、過去の偉人は会えてよい言葉を述べているが故、その通りだという共感が可能で「ことわざ」においてはその共感するという部分が薄く、そうなんだというだけで終わってしまうことが多いです。

これは仕方がない部分が多く、「ことわざ」自体も中国からやってきた生活の知識集なので役に立たない知識もあり、日本と考え方が異なる「ことわざ」を含まれているので共感できない点は仕方ありません。