この記事では、「性善説」と「性悪説」の違いを分かりやすく説明していきます。
2つの言葉には、どのような意味と違いがあるでしょうか。
「性善説」とは?
「性善説」という言葉には、どのような意味があるでしょうか。
「性善説」は、「せいぜんせつ」と読みます。
「性善説」は、「人間にはもともと善の端緒が備わっていて、それを発展することで、徳性にまで達することができるとする説」という意味があります。
思想家の孟子が唱えた説になります。
人間が生まれた瞬間に、善なるものが備わっているという考えで、それを育てていくだけで、立派な人になれるという考えがあります。
そのため、世の中に悪い大人がいるのは、善なるものとして生まれた子供が育っていく中で、何かしらの影響を受けて悪くなるという考えになります。
このようなことから、「赤ちゃんは善そのものだとする考え方は、性善説だ」などという文章を作ることができ、また、「私は性善説を信じているため、悪い子供などいないと思う」などという文章にできます。
「性悪説」とは?
「性悪説」という言葉には、どのような意味があるでしょうか。
「性悪説」は「せいあくせつ」と読みます。
「性悪説」は、「人間の本性は悪であり、たゆみない努力や修養により、全の状態に達することができるとする説」という意味があります。
荀子が唱えた説になります。
人間とは、そもそも悪いものであるとする考え方で、親や周囲の大人たちが厳しくしつけ、教育する必要があるという考え方になります。
そのため、世の中に悪い大人がいるのは、悪い部分を教育やしつけで、矯正することに失敗したためだという考え方になります。
「性悪説を唱える人から見ると、赤ちゃんとはいえ油断ならない」という文章を作ることができ、また、「性悪説の立場からすれば、教育が何よりも大切だ」などという文章にできます。
「性善説」と「性悪説」の違い
「性善説」と「性悪説」の違いを、分かりやすく解説します。
「性善説」は、「人間にはもともと善の端緒が備わっていて、それを発展することで、徳性にまで達することができるとする説」という意味があり、「性悪説」は、「人間の本性は悪であり、たゆみない努力や修養により、全の状態に達することができるとする説」という意味があります。
どちらも、人間の本性に関する言葉という共通点があります。
ただし、「性善説」は、もともと人間は善なるものという意味があり、「性悪説」は、もともと人間は悪いものという意味があるという違いがあります。
そのため、悪い環境、悪影響を与える人などにより、悪い大人ができるというのが「性善説」の考えで、しつけや教育不足の結果、悪い大人ができるというのが「性悪説」の考え方となります。
まとめ
「性善説」と「性悪説」の違いについて見てきました。
2つの言葉には明確な意味の違いがありました。
2つの言葉の意味の違いを知ることで、混同せずに使い分けることができるようになりそうです。