「暖簾に腕押し」と「馬の耳に念仏」の違いとは?分かりやすく解釈

「暖簾に腕押し」と「馬の耳に念仏」の違い言葉・カタカナ語・言語

この記事では、「暖簾に腕押し」「馬の耳に念仏」の違いを分かりやすく説明していきます。

2つの言葉には、どのような意味と違いがあるでしょうか。

「暖簾に腕押し」とは?

「暖簾に腕押し」とは?

「暖簾に腕押し」という言葉には、どのような意味があるでしょうか。

「暖簾に腕押し」は、「のれんにうでおし」と読みます。

「暖簾に腕押し」は、「少しも手ごたえや張り合いがないことのたとえ」という意味があります。

空中にかかっている暖簾は、腕で押しても、まるで手ごたえがないのではないでしょうか。

そこから転じて、手ごたえがないこと、張り合いのないことを、「暖簾に腕押し」と例えます。

例えば、学校の隣の席になった人に、話しかけたときに、何も反応がない場合があります。

どんなに楽しい話題を用意して話をしても、全く無反応という場合は、手ごたえを感じられないのではないでしょうか。

このような場合は、「隣の生徒の反応のなさは、まさに暖簾に腕押しといった風情だ」などという文章を作ることができます。

「馬の耳に念仏」とは?

「馬の耳に念仏」とは?

「馬の耳に念仏」という言葉には、どのような意味があるでしょうか。

「馬の耳に念仏」「うまのみみにねんぶつ」と読みます。

「馬の耳に念仏」は、「馬にありがたい念仏を聞かせても無駄であることから、いくら意見をしてもまるで効き目のないことのたとえ」という意味があります。

「馬」は、何を話しても効果がない人のことを意味し、「念仏」は、ありがたい話、価値のある話やお説教などを意味します。

例えば、やる気のない学生たちに、学者が大切な教えを説いたとしても、何も心に響かないし、刺さらないのではないでしょうか。

このような場面は、「学者の教えがまるで心に刺さらないとは、馬の耳に念仏とはこのことだ」などという文章を作ることができます。

「暖簾に腕押し」と「馬の耳に念仏」の違い

「暖簾に腕押し」と「馬の耳に念仏」の違い

「暖簾に腕押し」「馬の耳に念仏」の違いを、分かりやすく解説します。

「暖簾に腕押し」は、「少しも手ごたえや張り合いがないことのたとえ」という意味があります。

一方「馬の耳に念仏」は、「馬にありがたい念仏を聞かせても無駄であることから、いくら意見をしてもまるで効き目のないことのたとえ」という意味があります。

どちらも手ごたえがない様子を、意味する言葉という共通点があります。

ただし、「暖簾に腕押し」は、手ごたえがないこと全般を指す言葉なのに対して、「馬の耳に念仏」は、ありがたい教え、有意義な話などをしても、手ごたえがないことを意味するという違いがあります。

誰かに対して手ごたえを感じないとき、有益な情報、ありがたい話をしている場合は、「馬の耳に念仏」という言葉を使い、それ以外の全般的な場面では「暖簾に腕押し」を使うようにしましょう。

まとめ

まとめ

「暖簾に腕押し」「馬の耳に念仏」の違いについて見てきました。

2つの言葉には明確な意味の違いがありました。

2つの言葉の意味の違いを知ることで、混同せずに使い分けることができるようになりそうです。