「胸を打たれる」と「心を打たれる」の違いとは?分かりやすく解釈

「胸を打たれる」と「心を打たれる」の違い二語の違い

この記事では、「胸を打たれる」「心を打たれる」の違いを分かりやすく説明していきます。

「胸を打たれる」とは?

「胸を打たれる」という言葉は、「心を打たれる」という言葉と同じで感情が感動によって打たれることを意味します。

しかし、ニュアンスにおいては、心という文字を強調するか、胸という心臓当たりの部位を指し示すかで直接内面を指しているかおおよその感動をつかさどる場所を指し示すかという違いがあります。

「心を打たれる」とは?

「心を打たれる」は、感動の在りどころは心臓によって生み出すのではなく、心という体に宿る感性だとした言葉です。

なので、「心を打たれる」は、感性を重視し感覚によって人間が感じる精神的な働きであるとします。

「胸を打たれる」と「心を打たれる」の違い

両者の違いはニュアンスが異なり、「胸を打たれる」は、感動というものは心臓当たりに何か特別なものを感じるとしますが、「心を打たれる」は、人間が持つ感性でありかつ精神的な感覚で感じるとはっきりと定めているという違いです。

なので、はっきりとどこで何を感じて心が動いたかを示す場合は、「心が打たれる」と言えば、精神という感覚器で心が動いたと言え、「胸を打たれる」といえば、感覚器ではなく、道徳的な感性で一応感動を覚えたと述べたと考えるとよいのではないでしょうか。

「胸を打たれる」の例文

・『部長の部下を思う気持ちには胸を打たれる』
この例は、あいまいな表現で、一応部長の部下を思いやっている行動については、感動すると述べた例です。

なぜ、あいまいなのかですが、感情の在りどころが心臓らへんだと述べているが故、あいまいな表現になり、心という表現のほうが、人間が持つ感性が感じ取った部長の行動に対する感覚となるのでこの例はあくまであいまいな感じで部長の行動にとりあえず感動したという例になります。

「心を打たれる」の例文

・『部長の部下を思う気持ちに心を打たれる』
この例は、部長の部下を思う気持ちについて人間が持つ感性ではっきりと感じ取ることができて精神的なことを感じ取ったという例です。

なので、このケースにおいては、「胸を打たれる」という表現と比較した場合、はっきりと自分の精神で部長のやさしさのようなものを感じ取っています。

まとめ

「胸を打たれる」というのは、感動したということを心臓当たりが認識したという解釈になり、こちらの解釈法はどちらかというと昔の人の解釈です。

現在では感動や怒りに驚きに喜びという感情は、心臓当たりが感知するのではなく、人間の精神を意味する心だとしているので、「心を打たれる」というほうが人間が持っている感受性という精神が感覚的に感じ取ったとなるのでおそらく望ましい表現ではないかと思われます。

なお、両者の言葉は意味が同じですので、「胸を打たれる」というのは、感動を覚える部分が心臓当たりだとしたうえで、「心を打たれる」は、人間が持つ精神が完成という形で感動という物事を認識したという考え方でよいでしょう。