「遭難」と「迷子」の違いとは?分かりやすく解釈

「遭難」と「迷子」の違い言葉・カタカナ語・言語

この記事では、「遭難」「迷子」の違いを分かりやすく説明していきます。

「遭難」とは?

「遭難」とは?

「遭難」とは、本来のルートを外れてしまったり、予定外のアクシデントから生命の危機になるほどの災難となってしまった状態のことです。

山や海などで起こることが多く、こうなったしまった人や団体には救助が必要になります。

言葉としては、「雪山で遭難があった」「突然の嵐で、あやうく遭難するところだった」などと使われることが多く、そうはならないに越したことはありません。

「迷子」とは?

「迷子」とは?

「迷子」は、道や人とはぐれて迷った状態、またはそのようになった人や団体に対して使われる言葉です。

その意味から、「変な所で曲がってしまった為に、迷子になったようだ」「親から迷子になった子供を預かっている」などと用いられます。

先の「遭難」も、この「迷子」になった状態に似ていますが、それだけでなく、すぐに元には戻ることができなったり、命の危機にある状態だと、そちらと表現されることになります。

「遭難」と「迷子」の違い

「遭難」と「迷子」の違い

「遭難」「迷子」の違いを、分かりやすく解説します。

「遭難」は、迷ってしまったり、はぐれてしまったことから、命の危機に扮している状態を指す言葉です。

「迷子」は、まだ迷ってしまった、はぐれてしまったといった状態だという表現で、その状態がエスカレートすると、「遭難」と呼ばれることになってしまう可能性があります。

実際にも、雪山での「遭難」は決して少なくなく、その場所柄から、すぐに救助されないと本当に命が危なくなりかねません。

冒険の類いには危険がつきものですが、そうではなく、普通の旅の途中でそのような目に遭ってしまうことあるので、知らない土地では特に注意が必要です。

まとめ

まとめ

「遭難」「迷子」は、このような関係になります。

どちらも望んでそのようになるものではなく、アクシデントという点では一緒で、「迷子」よりも危険な状態の表現になるのが「遭難」です。