「荒涼」と「寂しい」の違いとは?分かりやすく解釈

「荒涼」と「寂しい」の違い言葉・カタカナ語・言語

この記事では、「荒涼」「寂しい」の違いを分かりやすく説明していきます。

「荒涼」とは?

「荒涼」とは?

「荒涼」とは「こうりょう」と読みます。

意味は風景などが荒れはてて寂しい様子を言います。

また精神的にすさんでいる様子という意味もあります。

他に古い日本語の意味としては大雑把でいい加減、軽はずみでうっかり、大きな口をきく、尊大といったものもあります。

しかし、ほとんどは荒れはてて寂しいといった意味で使います。

「このような荒涼とした土地に住みたくない」「荒涼とした景色に余計気が重くなった」「今の彼女は昔とは違う、心は荒涼で人への優しさなどない」などと言います。

「寂しい」とは?

「寂しい」とは?

「寂しい」とは、あるはずのもの、あってほしいものが欠けていることで満たされない気持ち、物足りない悲しい気持ちのことを言います。

また、人恋しい、孤独で不安、誰もいなくて静かな状態など複数の意味合いがあります。

「甘いものがないと口寂しい」「彼がいなくて寂しい」「一人暮らしは本当に寂しいものだ」「この通りは夜になると寂しくなるので気をつけて」などと使います。

「荒涼」と「寂しい」の違い!

「荒涼」と「寂しい」の違い!

「荒涼」「寂しい」の違いを、分かりやすく解説します。

この二つの言葉は「寂しい」という意味が同じとなります。

ですが意味合いに違いがありますので、ふさわしい言葉を選び使うようにします。

まず「荒涼」ですが、これは見た目に荒れはてている、心がすさんでいることで「寂しい」という感情がある時に使います。

例えば大事な人が亡くなって孤独、悲しいという時は「荒涼」ではなく「寂しい」を使います。

「荒涼は見た目、心が荒れはてている」といった時に使う言葉だと覚えておきましょう。

それ以外であれば「寂しい」を使うとすれば、間違いはなくなるでしょう。

まとめ

まとめ

いかがでしたでしょうか。

「荒涼」「寂しい」二つの言葉の意味と違いを説明しました。

この二つの言葉は「寂しい」という感情を表すことは共通していますが、意味合いが違いますので、正しく理解して使い分けるようにしてください。