この記事では、「畢竟」と「結局」の違いを分かりやすく説明していきます。
「畢竟」とは?
「畢竟(ひっきょう)」とは、「物事(事態)が最終的に行き着くところは」や「結局・つまるところ・要するに」を意味している副詞の表現です。
「畢竟」の「畢」と「竟」の両方の漢字に「終わること・終えること」の意味があります。
「畢竟」には「究極・最終」の仏教用語としての意味もありますが、「畢竟」の語源はサンスクリット語の“atyanta”にあります。
例えば、「畢竟、日本の歴史の中心には天皇と和の文化がありました」や「畢竟するに、すべては無常なのです」といった例文で使われます。
「結局」とは?
「結局(けっきょく)」とは、「つまるところ・行き着くところ・結末」や「物事が色々なプロセスを経ながら落ち着いたところは」を意味している副詞です。
例えば、「結局、夫とは別れることになりました」や「結局、努力した者が勝つことが多いのです」などの例文で使用できます。
「結局」の表現には、「囲碁で一局を打ち終える・終局」という囲碁用語の意味合いもあります。
「畢竟」と「結局」の違い!
「畢竟」と「結局」の違いを、分かりやすく解説します。
「畢竟」も「結局」も「紆余曲折の経過がありながらも最終的には・つまるところ」を意味している言葉という点では同じなのですが、「畢竟」は「結局」と比べると「日常用語・口語(話し言葉)としてはほとんど使われない」という違いがあります。
「畢竟」という言葉の語源はサンスクリット語の「atyanta」にあり、仏教用語としては「最終・究極」を意味しています。
しかし、日常的な話し言葉として使われることの多い「結局」には、そのような語源・由来はありません。
また「結局」には、「囲碁の一局を打ち終えること」という囲碁関連の終局の意味がありますが、「畢竟」にはない違いもあります。
まとめ
「畢竟」と「結局」の違いを説明しましたが、いかがだったでしょうか? 「畢竟」とは「物事が最終的に行き着くところは・つまるところ・結局」を意味していて、主に文語(書き言葉)で使われます。
「結局」は「色々なプロセスを経て最後に落ち着いたところ・つまり」を意味していて、文語でも口語(話し言葉)でも使われる違いがあります。
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