この記事では、「求道者」と「和尚さん」の違いを分かりやすく説明していきます。
「求道者」とは?
「求道者」とは、キリスト教において、教会に通い始め、牧師や神父より聖書の学びを受け始めたものの、正式に「キリスト教徒」となる「洗礼」は受けていない人に使われる言葉です。
そこから転じて、何かの道を目指しているものの、まだ一人前になっていない状態の人に対してこの「求道者」と用いられることがあり、一般にはそちらの解釈の方が有名かも知れません。
「和尚さん」とは?
「和尚さん」とは、仏教における聖職者となる「僧侶」に対して、親しみを込めて使われる言葉です。
ただし、宗派によってはこうとは表現しないこともあり、主に臨済宗や曹洞宗、浄土宗などで使われています。
その「僧侶」は、俗世に関わらないという意味から、頭を丸めている(剃っている)ことが多いですが、同じように剃っている(もしくは、禿げている)人に、見た目がまるで僧侶のようだと揶揄する為に用いられる場合もあります。
「求道者」と「和尚さん」の違い
「求道者」と「和尚さん」の違いを、分かりやすく解説します。
「求道者」は、まだ目指している道の途中の状態の人のことだと覚えておけばいいでしょう。
意味の元となっているキリスト教でも、「洗礼」を受けて初めてキリスト教徒だと認められる為、その途中だという解釈になります。
「和尚さん」は、一部の仏教の宗派で使われている、僧侶に親しみを込めてそのように呼ぶ言葉です。
「お尚さん」と表記しても構わず、宗派ごとに「僧侶」として認められた人に対して使われています。
まとめ
「求道者」と「和尚さん」は、このような言葉です。
一般には「きゅうどうしゃ」、「おしょうさん」と読みますが、「ぐどうしゃ」、「かしょうさん」といった読み方もあり、後者は、仏教の宗派によって「和尚さん」と書き、そのように読む場合があります。