「最愛」と「溺愛」の違いとは?分かりやすく解釈

「最愛」と「溺愛」の違い言葉・カタカナ語・言語

この記事では、「最愛」「溺愛」の違いを分かりやすく説明していきます。

「最愛」とは?

「最愛」とは?

「最愛」とは、最も愛していること、という意味があります。

また古い日本語の意味としては、可愛がる、寵愛するといった意味もあります。

「最愛の人としていつまでも心の中にいる」「最愛の娘が、結婚することは考えたくない」「最愛の妻」などと、使います。

「溺愛」とは?

「溺愛」とは?

「溺愛」とは相手を冷静に見ることができない状態で、むやみに可愛がる、甘やかすといった状態のことです。

「孫を溺愛して、何でも買い与える」「家族全員、飼い猫を溺愛している」などと、使います。

「最愛」と「溺愛」の違い!

「最愛」と「溺愛」の違い!

「最愛」「溺愛」の違いを、分かりやすく解説します。

どちらも、対象となる存在を可愛がるという意味では同じです。

それでは違いを見ていきましょう。

「最愛」とは漢字の通り「最も愛する」という意味になります。

愛する対象というのは決して一人ではなく、複数存在するものです。

家族、恋人、友達、ペットなど、それぞれに愛があることでしょう。

そのような愛する存在の中でも一番強く、深く愛することが「最愛」となります。

つまり相手から「最愛の人」と言われることはとても愛されているということになるのです。

一方の「溺愛」ですが、これは「愛に溺れている」状態となります。

溺れるとは、夢中になり心が奪われた状態です。

相手を客観的に見る目を失っていて、何をしても可愛い、愛しいとなることを言います。

子ども、孫、ペットなどが「溺愛」の対象となることが多いでしょうか。

愛することはいいことですが、「溺愛」というのは場合によっては問題が起こることもあります。

それは何をしても許してしまい、いわゆる甘やかし状態になってしまう可能性があるからです。

まとめますと「最愛は最も愛すること」「溺愛は客観的に見ることができずむやみに可愛がること」となります。

まとめ

まとめ

いかがでしたでしょうか。

「最愛」「溺愛」、二つの言葉の意味と違いを説明しました。

どちらも「愛」があり可愛がるという意味合いは共通しています。

ですが言葉の意味が違いますので、正しく理解して使い分けるようにしましょう。