「世知辛い」と「暮らしにくい」の違いとは?分かりやすく解釈

「世知辛い」と「暮らしにくい」の違い言葉・カタカナ語・言語

「世知辛い」「暮らしにくい」の言葉の意味と違いをご存知でしょうか。

ここでは、それぞれの言葉の意味と、違いを丁寧に説明しています。

では一緒に見ていきましょう。

「世知辛い」とは?

「世知辛い」とは?

「世知辛い」とは生活していきにくい、住みにくいという意味があります。

またそれ以外に、計算高くて、心にゆとりがないこと、打算でこせこせしているといった意味もあります。

例えば「世知辛い人だ」などと言う場合は、後者の意味ということになります。

「暮らしにくい」とは?

「暮らしにくい」とは?

「暮らしにくい」とは、生活しづらいこと、暮らし向きがあまり良くないことに使う言葉です。

「ここは排他的な人が多いし、都会から嫁いできた人には暮らしにくいだろう」と言えば生活がしづらいという意味になります。

他には「この家は設備が古く、暮らしにくい」「不景気で暮らしにくい世の中だ」「あの姑と同居では、お嫁さんはさぞ暮らしにくいでしょう」などと使います。

「世知辛い」と「暮らしにくい」の違い!

「世知辛い」と「暮らしにくい」の違い!

「世知辛い」「暮らしにくい」、それぞれの言葉の意味を説明しました。

どちらも生活しづらいという意味は同じです。

ただ違いは「世知辛い」という言葉には、計算高くゆとりがない、打算的でこせこせしているといった人間の性格を表す意味があることです。

ですから「世知辛い男」とは言っても「暮らしにくい男」とは言わないのです。

「暮らしにくい」とは、生活する上において何か難しい、辛いといった要素があることに使う言葉です。

土地、家、仕事上の問題など色々理由はあるでしょう。

「世知辛い」も同様なのですが、それとは別の意味もあるというのが大きな違いとなります。

また「世知辛い」の意味はいい意味とは言えず、相手を悪く言う言葉です。

本人に直接言えば、悪口、暴言ともなりますので使い方には気をつけるようにしましょう。

まとめ

まとめ

いかがでしたか。

「世知辛い」「暮らしにくい」、それぞれの言葉の意味と違いが理解できたのではないでしょうか。

似たような言葉ですが、違いを正しく理解して使い分けてください。