この記事では、「暗中模索」と「五里霧中」の違いを分かりやすく説明していきます。
「暗中模索」とは?
「暗中模索」には2つの意味があります。
一つは、暗闇の中で手探りしてあれこれと探すことです。
人間が物を見ることができるのは、網膜に光が当たるからです。
網膜に到達した光が信号に変えられて脳に伝わり、脳で処理されて「見えた」と認識をします。
まったく光がないところでは、人間は物を見ることができません。
そのため、何かを探すときに目は役に立ちません。
そこで、手探りであれこれ探し求めることになります。
こういったさまを意味しています。
もう一つの意味は、問題を解決する糸口がないまま、いろいろと試すことです。
新型の病気が流行したとします。
この病気は今までになかったことなので、まったく情報がありません。
解決の糸口もない状態です。
そういった中で、どうすれば流行を抑えることができるのか、どうすれば病気を治すことができるのかなど、いろいろと試してみました。
こういった状態が「暗中模索」が意味するものです。
「暗中模索」の使い方
手がかりのないまま、あれこれと実際にやって調べることについて使用をします。
手がかりがある事柄には使用しません。
「五里霧中」とは?
物事の様子や解決の糸口がわからなず、方針や見込みが立たず迷うことです。
尺貫法では、1里が3. 927キロメートルです。
5里は19. 635キロメートルになります。
晴れているときでも約20キロメートル先を見るのは難しいです。
ましてや、霧が立ち込めている状態なら、なおさら先を見通すのは難しいでしょう。
霧に包まれてしまえば、物事の状態を把握できず、手がかりがわからなくなります。
先が見えない状態では方向を見失います。
そうなると、どうしていいのか困ります。
このような、見通しが立たずに困るさまを「五里霧中」といいます。
「五里霧中」の使い方
手がかりをつかめず、どうしていいのか迷うことに使用をします。
また、事の次第がはっきりしない中、手探りで何かをすることにも使用します。
「暗中模索」と「五里霧中」の違い
どちらの言葉にも、手がかりがないという意味が含まれていますが、それぞれの言葉が指していることには違いがあります。
前者は、手がかりがないまま、いろいろやってみることです。
後者はいろいろやってみる意味でも使われますが、手掛かりがなくて、どうしていいか困ることを意味しています。
「暗中模索」の例文
・『暗中模索しています』
・『暗中模索な状態です』
・『いま暗中模索しているところです』
「五里霧中」の例文
・『五里霧中の状況』
・『五里霧中だか何とかするしかない』
・『五里霧中で先行きが不安だ』
まとめ
手がかりがないという意味を持っており、2つの言葉の意味は似ています。
しかし、一方は手がかりがない中あれこれやってみること、もう一方は手がかりがなくて困ることで、やや意味合いが異なります。