「丹精」と「端正」の違いとは?分かりやすく解釈

「丹精」と「端正」の違いとは?言葉・カタカナ語・言語

この記事では、「丹精」「端正」の違いを分かりやすく説明していきます。

「丹精」とは?

「丹精」とは?

「丹精」には2つの意味があります。

ひとつは、まごころ、誠意です。

まごころとは、嘘や飾りがない心のことです。

誠意とは、私利私欲とは関係なく、正直に物事にあたる心のことです。

「丹」にはまごころ、「精」にはまじりけがない、こころという意味があります。

こういったことから、「丹精」には、まじりけがない心という意味があることがわかります。

まじりけがない心とは、偽りや飾りのない心のことです。

もう一つの意味は、本当の気持ちや思いやりを持って物事をすることです。

秋になると菊の展示会が行われます。

この展示会に出品される菊は、形が整っており、美しい花を咲かせています。

菊は一般の家庭で育てられる植物です。

しかし、美しい花を咲かせるためには、水やりのタイミング、日当たり、肥料などに気をつけなければなりません。

いい加減な気持ちでは、展示会に出せるような菊を育てることは難しいのです。

展示会に出品されている菊を栽培した人たちは、心を込めて栽培していたことでしょう。

これを「丹精込めて育てる」と表現できます。

「丹精」の使い方

「丹精込めて」の形で使われることが多いです。

心を込めて物事をするさまをいいます。

「端正」とは?

「端正」とは?

姿、形、動作などに乱れたところがなくきちんとしているさまです。

文字についてで考えてみます。

ミミズがはったような文字と表現される字があります。

これは、ひとつひとつの線がまっすぐではなく、読みにくいようなものを指します。

これは乱れたところがあるので「端正」とはいえません。

ひとつひとつの線がまっすぐで、はねるところはしっかりとはねている、誰が見ても読める文字は「端正な字」ということができるでしょう。

富士山の姿は、遠くから見ると左右対称で整っているように感じられます。

絵画や写真などにされることが多く、整っていて美しいので絵画などにされるのでしょう。

「端正な富士山の姿」ということができます。

「端正」の使い方

姿、形、振る舞いなどについて使われる言葉です。

乱れたところがなく、きちんとしていることを指して使用されます。

「丹精」と「端正」の違い

「丹精」と「端正」の違い

どちらの言葉も「たんせい」と読みは同じですが、意味は異なります。

「丹精」は偽りや飾りのない心、思いやりを持って物事をすることです。

「端正」は乱れたところがなくきちんとしていることです。

「丹精」の例文

「丹精」の例文

・『丹精込めて作りました』
・『丹精して植物を育てる』
・『丹精して作りあげた』
・『丹精した絵画が展示されている』

「端正」の例文

「端正」の例文

・『端正な山の姿』
・『端正なふるまい』
・『端正で美しいルックス』
・『端正な顔立ち』

まとめ

まとめ

どちらの言葉も「たんせい」と読みは同じですが、意味は異なります。

一方は、心を込めて物事をすること、もう一方は整っている形やふるまいを意味しています。