「傾聴」と「共感」は、共に誰かの発言、演説などに対して行われます。
「傾聴」と「共感」の違い
「傾聴」(けいちょう)とは、相手の発言を熱心に聞くことの表現です。
「話に引きこまれ、つい傾聴してしまった」のような使い方になる言葉で、意味はつい熱心に聞いてしまったとなります。
それほど引きこまれるような話だったのが分かる使い方ですが、「傾聴していなかったので、要点しか分からなかった」とすると、そこまで熱心には聞いていなかったと表現することができます。
ここでの注意は、真面目に聞いていなかったという訳ではなく、それほどではなかったという意味になることです。
つまり、「傾聴していない」は、それなりには聞いているものの、細部まで全て聞いていた訳ではないという解釈になります。
「共感」(きょうかん)は、相手の発言や意見が正しいと感じ、認めることです。
「彼の意見には共感した」と使うと、その意見が正しいと感じ、認めたという意味になります。
どのようなものに「共感」できるかは人それぞれなので、「私は共感できなかった」のように、それはできなかったと使われるこも多いです。
「傾聴」を使った例文と意味を解釈
「傾聴」を使った例文と、その意味の解釈になります。
この言葉は、どのような聞き方をしたかという表現になります。
「あの教授の講義は傾聴していないと理解できないことで有名だ」
恐らく、熱心に聞かないと理解できないほど難解な講義なのでしょう。
多少ニュアンスが変わりますが、集中して聞くと言い換えても構いません。
「共感」を使った例文と意味を解釈
こちらは「共感」を使った例文と、その意味の解釈になります。
選挙では、何かしらの面でこれができた候補者に投票するものです。
「あの政党の主張には、とても共感できない」
政党自体の主張に共感できないようでは、その政党からの候補者にも投票することはできないでしょう。
逆に言えば、候補者は政党名や演説などで共感を集められるということになります。
まとめ
「傾聴」と「共感」は、このように意味や使い方が違う言葉です。
「傾聴」したことで「共感」へと繋がることも多いと言っていいでしょう。