「任侠」と「仁義」の違いとは?分かりやすく解釈

「任侠」と「仁義」の違い言葉・カタカナ語・言語

義理人情を重んじる性格としては「任侠」「仁義」があり、これは日本の古いヤクザ映画のキャラが持っていることが特徴です。

この記事では、「任侠」「仁義」の違いを分かりやすく説明していきます。

「任侠」とは?

「任侠」とは?

「任侠」とは義理人情を持ち合わせており、弱い人間や立場の人を見ると放っておけない性格を表す言葉です。

またこれらの心を持っていることから実際に弱者を助ける行動する人や、自己犠牲も厭わない性格を持っている人を示す言葉としても使われます。

「任侠」は性格的には弱い人を助けるという人物を示す言葉なのですが、日本の物語ではよくヤクザのキャラとして描かれることがあり、語源とは大きく異なります。

「任侠」の語源は中国の言葉であり、こちらは元々の意味である弱いものを放っておけない性格や、恩義を返すという性格の人を表します。

中国での「任侠」はこのような義理堅い人を表すことから、英雄や武侠の性格として知られています。

日本のヤクザものの物語はフィクションであり、このようなダークヒーロー的な存在として「任侠」が描かれるのが特徴です。

「仁義」とは?

「仁義」とは?

「仁義」とは元々中国の儒教で重要視された考え方であり、五条の徳目の中で最も重要視されるものとして有名です。

「仁義」「仁」は様々人を愛することを示す言葉であり、「義」は物事の判断をしっかりと持って正しく行動することであり、こちらは社会的な行動や政治的な正しさを示すという意味もあります。

「仁義」は様々な人を慈しむことや大きな視点を持って正しく行動する性格を表すものであり、これは個人の目標だけではなく、英雄や王など人の上に立つ人が目指すべき理想として知られています。

「仁義」は上述のような人として正しい性格を示す言葉の意味があるのですが、一方日本ではこちらもヤクザ作品に出てくることから少し意味が異なります。

ヤクザや裏社会での約束事や義理を守ることを「仁義」と表現しますが、実際に普通の一般人はこのような言葉をあまり使いません。

「任侠」と「仁義」の違い

「任侠」と「仁義」の違い

「任侠」は実際に「仁義」を持っている人という意味で使われることがあり、共通点は大きく存在します。

「仁義」は儒教の教えであり、これを守って行動する人物や性格を「任侠」と表します。

「任侠」の例文

「任侠」の例文

・『任侠作品に出ていたあの強面の役者さんは、愛妻家として知られている』
・『ヤクザ映画は古き良き任侠を描いているので、個人的には大好きだ』

「仁義」の例文

「仁義」の例文

・『部下は仁義を尽くして王に仕えた』
・『仁義にもとる皇帝の暴虐により、クーデターが発生した』

まとめ

まとめ

日本ではヤクザ作品内で使われる言葉として「仁義」「任侠」は知られています。

しかし元々は中国の儒教で最も重要な徳目であり、これは一般人から英雄までが理想としていたものでした。

もちろんフィクションのヤクザ作品はこのような義理人情に厚い性格や恩義を尽くすという点が重要視されており、これが魅力となっています。