この記事では、「謗る」と「貶す」の違いを分かりやすく説明していきます。
「謗る」とは?
「謗る」は、自分や他者に対して悪いところのみを追究して言うことです。
つまり、不都合や、他者の直すべき性格などを挙げていき悪く言うことを「謗る」と呼び、「謗る」は必ず対象が何かしらマイナス面を持っていることを条件に行う人間の行動です。
「貶す」とは?
「貶す」は、人間が行う行動の一つで、とにかく対象となる物を悪く言うことです。
なお、悪く言うというのは、悪者にすべくいうことではなく、どちらかというと、さらし者にすべく他者を悪く言うことを意味します。
よって、「貶す」は対象となる人物はさらし者にさらされるべくして悪く言われ続けるのです。
「謗る」と「貶す」の違い
「謗る」と「貶す」の違いは、対象となる人物をただ単に悪く言ってマイナスの部分があることを告げるか、マイナスの部分があることを無理やり作り上げるかです。
「謗る」は単にマイナスの面があるというだけですが、これは対象となる人物に自覚があります。
一方、自覚がないのにも拘らず、ぼろくそに言われるのが、「貶す」です。
「謗る」の例文
・『僕には友人を謗るだけの理由がない』
この例は、友人についてマイナス面があるということを周囲に話す理由がないという例です。
「謗る」は、友人であれば友人本人に悪い面があると告げることですが、このケースでは友人にマイナス面や非があるように見えないという例になります。
「貶す」の例文
・『そこまで貶すのは良いが、果たしてそれは真実だろうか?』
この例は、誰かを悪く言う人物について疑問を持った例です。
「貶す」は無理やり悪い面を取り繕うという性質があり、この例はひょっとしたら、他者を悪く言っている人物が作り話をしているのではないかと疑っています。
何故、そうなるかですが、信頼されている人物に対して第3者がぼろくそに信頼されている人物に対して悪口を言った場合、それを信用できるのかというのがこの例であるからです。
まとめ
「謗る」と「貶す」については、「謗る」は、他人や自分の悪いところを挙げていますのでこれはアドバイスであると言い切れます。
一方、「貶す」は、アドバイスではなく、他者を陥れる行為そのものであるため、いわば犯罪です。
しかも、「貶す」は大勢の前で「貶す」という行為を行えば、大勢の前で対象となる人物を辱めることすら可能です。
こうなると、「貶す」は単なる悪人の行動で他者を陥れたうえで信用を奪い去り、かつ辱める行為になり本来の他人の評判を低下させるという意味異常に悪質な物へと変化します。
その為、まだ、人間的に認められる範囲であれば、「貶す」は相手の悪いところのみを指摘して周囲に公言することになるのですが、これが相手を陥れることを追究した悪口になった場合、人間的に認められる行為ではなく、単なる人権侵害に陥るのが「貶す」の本性であるとも言い切れるのです。