「怨恨」と「怨念」の違いとは?分かりやすく解釈

「怨恨」と「怨念」の違い言葉・カタカナ語・言語

この記事では、「怨根」【えんこん】と「怨念」【おんねん】の違いを分かりやすく説明していきます。

「怨根」とは?

「怨根」とは?

「怨恨」【えんこん】とは、人を恨むことを意味しており、相手から受けた仕打ちをいつまでも忘れず、憎く思う人の気持ちを意味しています。

「怨」は不満を抱く、「根」は悔しいという意味があり、相手への不平不満に対して悔しいと思う気持ちが時間が経つにつれて悔しいという気持ちになっていきます。

「怨恨」は人の胸の奥底にいつまでも残り続け、いつか必ず報復してやると思う気持ちが強くなっていく心理を表す意味となるわけです。

使い方としては、やられたことを忘れずに恨みを募らせていき、相手へ報復したとき「溜め込んだ怨恨を晴らす」、恨みの気持ちを持つ「怨恨を抱く」と言い表します。

反対に、自分から恨まれることをしたときは「人の怨恨を買う」と使います。

この言葉の類義語には「恨めしい」【うらめしい】があり、不満や嘆くほど心の中に溜め込んでいく恨みの気持ちがしだいに相手への憎悪となっていく気持ちを伝えられる言葉です。

「怨念」とは?

「怨念」とは?

「怨念」【おんねん】とは、自分が受けたことに対して恨みを持つことを意味しており、他者からやられた仕打ちに強い不満を持ったとき、憤って怒りになります。

古来は、怨みを持った人の生霊が相手を憎み、苦しめたいと念じるその気持ちが怨霊になって現れるという考えを持っていました。

そこから「うらめしい」という形容詞に「み」の連用修飾語がついたものを語源となり、「怨念」を持つ人は生前に金銭的な問題で貶められた、信用していた人から裏切られ、酷いことされたことがいまだに忘れられず、復讐できない悔しい気持ちが募っていくことで怨みを抱く人になります。

そして、相手の命を奪い取りたいと思うほど憎悪の気持ちが増していく人の心を表せる言葉となるわけです。

類義語には「私恐」【しえん】があり、個人的なうらみを抱き、いつまでも自分の中に持ち続ける念が募っていくという意味があります。

「怨根」と「怨念」の違い

「怨根」と「怨念」の違い

「怨恨」「怨念」の違いを、分かりやすく解説します。

相手から受けた仕打ちをいつまでも忘れずに、憎いと思う不平不満が時間経つにつれて憎悪となっていくのが「怨恨」と言い、酷いことをされた相手への不満が不幸になればいいという憎しみの気持ちとなり、その念じる心が強くなるのが「怨念」という違いあります。

「怨恨」は心の奥底に溜まっていき、いつか報復してやりたいと思う気持ちになり、「怨念」は酷い裏切りに対して復讐してやろうという気持ちを心の中で念じて、相手に届けてやろうという気持ちになります。

「怨恨」の例文

「怨恨」の例文

・『浮気を疑う彼女は怨恨の眼で彼氏を睨んだ』
・『事件を起こした犯人は怨恨の念を持ったことで犯行におよんだ』
浮気を疑った彼女は愛してやまない人への憎悪を膨らました気持ちを表情で伝えることができますし、事件を起こした犯人は過去に自分がやられたことに対しての憎しみを忘れずに、いつか復讐してやる気持ちを晴らすため相手を襲うこともあります。

「怨念」の例文

「怨念」の例文

・『親を殺されて家族を失った息子の怨念が形となって表れた』
・『いつまでも人を恨む気持ちを持っていると前向きになれないので、私は思い切って怨念を捨てた』
愛する親がいきなり殺されただけではなく、自分がひとりだけ生き残り、苦労する人生を送ることになった者は犯人への強い恨みを抱きながら生きることになります。

しかし、いつまでも「怨念」の心を持っていたままでは気持ちが前向きにならないので、しっかり前を向いて生きるためにも人を恨む気持ちを捨てることも大事なのです。

まとめ

まとめ

ここでは、「怨恨」「怨念」についてご紹介しました。

憎い気持ちを持つ心がしだいに恨みとなり、深く心の奥底に根強く溜まるのが「怨恨」で、深く心に刻まれる憎しみに包まれた人は相手が不幸になればいいと感じるようになり、念じる心が強くなる人の気持ちを表すのが「怨念」と覚えておくといいでしょう。