「空疎」と「空虚」の違いとは?分かりやすく解釈

「空疎」と「空虚」の違い言葉・カタカナ語・言語

物事や出来事が空っぽであり中身がない時に使う言葉には「空疎」「空虚」があります。

この記事では、「空疎」「空虚」の違いを分かりやすく説明していきます。

「空疎」とは?

「空疎」とは?

「空疎」とは見せかけや外見はしっかりとしている物事や出来事が、いざ中を見た際に中身がまるで存在しない状態を表す言葉です。

外見上ははっきりとしているために内容も充実していると思われることが多いのですが、いざ蓋を開けてみると中身が空っぽであり内容が疎かになっている物事や出来事に対して使います。

実質が伴わない物事に対しても使うことが可能であり、自分では最大限努力していても効率が悪い時にも使えます。

「空疎」な時間を過ごすことは時間の無駄と言われますし、「空疎」なコンテンツは外見や広告だけが派手で内容が伴っていないことからこれを消費するのも時間の無駄と言われています。

「空虚」とは?

「空虚」とは?

「空虚」とは内部が何もない状態や、内部にある価値がない状態を表す言葉です。

物質的なものが存在しておらず雰囲気が虚しい時にも使うことが可能であり、精神的な価値観や心情が虚しさを感じている時にも使うことが可能です。

「空虚」は存在自体が虚しい状態や状況を表す言葉であり、それが外見や雰囲気に現れることが多く外側から見ても虚しさを感じ取ることが可能です。

精神的な「空虚」はネガティブな場合にも多く使われますが、完全に心を無にする状態や禅の心境に対しても使われます。

「空虚」の類義語としては「虚無」があり、こちらも内部が何もない状態や価値観がない物事を表す言葉ですが、より完全なる無や虚しさに支配されている状態を意味するのが特徴です。

完全なる無という意味から宇宙の深淵を表す時には「虚無」を使います。

「空疎」と「空虚」の違い

「空疎」と「空虚」の違い

「空疎」は見た目こそしっかりとしているものの、中身が空っぽである状態を意味します。

「空虚」は中身が空っぽという点が重要視され、これによって外見も虚ろな状態になっていることが多いのが特徴です。

「空虚」は中身も外見も空っぽであり価値がないものだと判断することが可能ですが、「空疎」は一度中身を見てみないと内容の虚ろさを判断することは不可能です。

「空疎」の例文

「空疎」の例文

・『綺麗な言葉のポエムだが、内容は空疎なもので心に残らないと感じた』
・『空疎な映画を見てしまいやるせない気持ちになったので、動画配信サービスで別の映画を見ることにした』

「空虚」の例文

「空虚」の例文

・『彼が引っ越した後の部屋はまるで空虚なものであり、物寂しさを感じた』
・『その仏僧は空虚なる心で妖怪の邪念を打ち払った』

まとめ

まとめ

物事や出来事が空っぽになる状態として使われる「空疎」「空虚」は外見上の違いによって使い分けることが可能です。

CMや広告が非常に良くできたコンテンツでも内容を見たら「空疎」なものだというケースは割とよくあります。

「空虚」なコンテンツは最初から外見が空っぽ見えることもあり回避しやすいのは不幸中の幸いでしょう。