「健常」と「健康」の違いとは?分かりやすく解釈

「健常」と「健康」の違い言葉・カタカナ語・言語

この記事では、「健常」「健康」の違いを分かりやすく説明していきます。

「健常」とは?

「健常」とは?

心や体に病気や障害がないことです。

「健」はすこやか、体が丈夫である、「常」はふつう、ありきたり、なみという意味を持つ漢字です。

このことから、「健常」は普通の健やかさ、普通に体が丈夫、つまり心や体に病気や障害がないことという意味になります。

人間は五体満足で生まれてくることが普通だとされています。

特別な事情がない限り、2本の腕、2つの手、2本の脚、2つの足、頭、胴体などがあります。

この状態が体のどの部分にも欠けたところがなく、体の部分という意味では「健常」です。

妊娠中や出産の際の何らかの事情や、交通事故や病気などによって、手足などを失ってしまうことがあります。

五体満足が障害のない状態だとすると、体のどこか一部分を失った状態は障害がある状態だといえるでしょう。

体のどこかが失われている場合、日常生活を送るのに不便が生じることがあります。

たとえば、両手がない場合はペットボトルのキャップを開けるのに苦労をするかもしれません。

「健常」は体の失われた部分がなく、日常生活に支障のない状態を意味します。

「健常」の使い方

体に欠けた部分がなく、心や体に病気や障害がない状態を指して使用をします。

「健常者」の形で使われることが多いです。

「健康」とは?

「健康」とは?

「健康」には3つの意味があります。

1つめは、異常がある・なしの観点からみた体の状態です。

頭痛がするのは、体に何らかの異常があるからです。

神経が圧迫されている、血流が悪い、病気があるなど、何らかの異常があると考えられます。

異常があるので頭痛があるときは「健康」ではないといえます。

2つめの意味は、体に悪いところがなく、しっかりとしていること、またそのさまです。

血色がよい顔のことを「健康そうな顔」といいます。

外を元気に走り回る子どものことは「健康的な子」といいます。

3つめは、精神の働きやものの考え方に普通とは異なるところがないこと、またそのさまです。

いじわるをしようなど、悪い考えを持っていないさまを意味します。

「健康」の使い方

体の状態について使われる言葉です。

「健常」と「健康」の違い

「健常」と「健康」の違い

どちらの言葉も体の状態を意味していますが、同じ意味ではありません。

「健常」は心や体に病気や障害がないことです。

日常生活を送るのに支障がない状態を意味します。

「健康」は異常がある・ないという面から見た体の状態や、体が丈夫であることを意味します。

「健常」の例文

「健常」の例文

・『視覚に関しては健常だ』
・『健常に戻る可能性がある』
・『健常な人を対象とした試験』
・『健常な状態で生まれてくる』

「健康」の例文

「健康」の例文

・『健康的な体』
・『健康そうな肌つや』
・『健康に気をつける』
・『健康によいといわれる食材』

まとめ

まとめ

どちらも体についての言葉ですが、それぞれの言葉が意味することは異なります。