この記事では、「凌駕」と「超越」の違いを分かりやすく説明していきます。
「凌駕」とは?
「凌駕」とは、比較対象が存在していて、比較対象よりも実力が上回っている側を「凌駕」と呼びます。
凌という部分が、一歩前進するという意味で、駕が上回るという意味になり、両者を組み合わせると、一歩前進して上回るというのが「凌駕」です。
なお、「凌駕」は、人知を超えて相手を超えることではないのであくまで人間の力量の範囲で追い越していることです。
「超越」とは?
「超越」は、比較対象と比較した場合、人間の理解を超えて実力が上であるという意味でいわば、神様に近い実力者のことです。
よって、「超越者」という言葉は、全知全能の神様のことを指しており、一応、人間の形をしているなにかという意味になります。
よって、「超越」は、実は人間のように見えるけど、人間ではない何かを意味することもあります。
「凌駕」と「超越」の違い
「凌駕」と「超越」の違いは、相手を超えるという意味において、人間の力量で相手を超えるか、人間以上の力量で相手を超えてしまい神に近い存在となるかです。
「超越」は、人間が理解できない越え方をしているが故、「超越」と呼び、「凌駕」はあくまで、一段階相手を追い越しているにすぎません。
「凌駕」の例文
・『対戦相手を軽く凌駕する』
この例は、対戦相手を軽く一段階上回るという意味で、全力を出して相手を超えていない点にあります。
「凌駕」は、人間の技で相手を一段階上回るという意味なのでこの例は、手抜きをして相手を一段階上回っている例です。
「超越」の例文
・『人であることを止め、超越者となる』
この例は、人間であることを止めて噛みに等しい存在になるという意味です。
どのようにして神になるかは分かりませんが、簡単に言えば、神様=チートという考えで考えれば、ドーピング=チートという考え方が成り立つので、ドーピングをすることで人間ではない何かになるというのがこの例になります。
まとめ
「凌駕」と「超越」に関しては、どちらがより人の技に近い状態であるかを指します。
「凌駕」は、人の持つ技で一段階相手を上回るだけですので努力次第で相手を倒すことに値します。
ですが、「超越」となると話は別で、これはチートという物に近いです。
無論、チートも方法論の一つで相手を倒すという点においては有利に物事を進めることができますので一つの方法論ですが、問題となるのは、人の技であるかどうかが問題で、「超越」は相手側が理解できないが故、人の技ではないと思われてしまい、実際に人の技でない可能性もあり得ます。
例えば、極秘裏に機械を仕込んで自分の力のように見せるのも「超越」で「超越」は相手が理解できないほどの力を見せれば、どの様な方法で作り出された力であってもよいのです。
言いかえれば、ルール違反という形で自転車競技に、電動化された自転車で極秘裏に出走してもよいのです。
その為、「凌駕」の方がまだ正々堂々であると言い切れます。