「妄信」と「盲信」の違いとは?分かりやすく解釈

「妄信」と「盲信」の違い言葉・カタカナ語・言語

『信じる』というのはとてもポジティブな言葉ですが、方法によってはあまり良くないものもあります。

今回はその中の2つについてご紹介したいと思います。

この記事では「妄信」「盲信」の違いを分かりやすく説明していきます。

「妄信」とは

「妄信」とは

これは『やたらにただ無暗に信じること』を表す言葉です。

ポイントは『無暗に信じること』という部分にあります。

そもそも『妄』とは筋道や道理がたっていないことや後先や分別のない様子という意味を表す言葉です。

『女』と『亡』が一緒になっている漢字であり、『亡』は『ない』ということを表しており、道理がないことを、『女』は今であれば差別的ではありますが、心理状態を表している部分になっています。

つまり『道理がないことを信じる』という意味を成す単語なのです。

使い方としては『ゴシップ記事を妄信する』のように、読んではいるのに道理や道筋を理解しようとせずに鵜呑みにしてしまう状況を指す言葉です。

「盲信」とは

「盲信」とは

これも同じく『もうしん』と読みますがこちらは、『訳がわからないのにひたすらに信じること』を指す言葉です。

『訳が分からない』という部分がポイントになっています。

『盲』とは目が不自由なことを『盲目』というように、『しっかりと物がみえていないこと』という意味を持つ漢字です。

漢字の成り立ちを見ても、『亡』というなくなるを意味する音符に加えて『目』という部分を付けたすことで、ひとみが亡くなってしまう、ということから目が見えないという意味を表す漢字になっています。

つまり、『しっかりと見えていないことなのに信じてしまう』という意味が『盲信』です。

例えば『権威を盲信する』というと、権威が持つ力やその存在の意味を理解することもせずにひたすらに信じているという表現になります。

「妄信」と「盲信」の違い

「妄信」と「盲信」の違い

この二つは『道理がないのに信じている』か『物の本質が見えていまだ訳の分からない状態なのに信じてしまう』かという違いではっきりと分けることができます。

もう少し平たく説明をすると『善し悪しを考えないで信じる』のが『妄信』で『見えていないのに信じる』のが『盲信』ということもできます。

実は現在では『妄』は『盲』に置き換えられることもある漢字ではありますが、実際はこの様な微妙なニュアンスの違いがあるのです。

「妄信」の例文

「妄信」の例文

・『本に書かれていることをなんでも妄信するのは危険である』
・『知識だけを妄信するのではなく、経験も重要視する必要がある』
・『精査されていない情報を妄信するのはもうやめよう』

「盲信」の例文

「盲信」の例文

・『創業者の教えを疑問も持たず今でも盲信しているのは思考停止である』
・『武田さんは部長が言うことは何でも盲信しがちである』
・『インターネット上の情報をそのまま盲信してはならない』

まとめ

まとめ

如何でしたでしょうか。

同じ音を持ち、意味も非常ににていますが、微妙なニュアンスの違いについて漢字に注目することでイメージを持っていただくことができと思います。

この様な言葉は日本語にはとても多くありますので、迷った場合は漢字の意味を深く掘り下げてみることをお勧めします。