「釈然」と「附に落ちない」の違いとは?分かりやすく解釈

「釈然」と「附に落ちない」の違い言葉・カタカナ語・言語

この記事では、「釈然」【しゃくぜん】と「腑に落ちない」【ふにおちない】の違いを分かりやすく説明していきます。

「釈然」とは?

「釈然」とは?

「釈然」とは、人から疑いをかけられたり、自分の中での迷いが解決して、気分がすっきりした状態になるという意味があります。

明らかに相手が悪いというのに、自分の方が悪者にされたとき「釈然」としない気持ちを晴らすため、自分なりに解決する糸口を見つけたとき、心のわだかまりが解消して、相手と心が通じて良かったという気持ちを表せます。

使い方としては「釈然とする」「釈然とした気持ち」と言い、自分の中にあるわだかまりが消えて、前向きに生きていこうと考えられるのです。

反対の意味として使われている「釈然としない」は人から疑いをかけられて、その問題がなかなか解決せずにすっきりしないさまや、腑に落ちない自分の気持ちに苛立ち、動揺が隠し切れない状態を指します。

「腑に落ちない」とは?

「腑に落ちない」とは?

「腑に落ちない」とは、自分の中で考えていることと違う結果に納得できない気持ちを表します。

違和感を感じるような疑問を投げかけられたとき、どうして自分がそのようなことに巻き込まれるかという苛立ちと、腹立たしさを感じた人は圧倒的に気持ちが落ち着かず、頭にくることがあります。

そのような人の気持ちを表した「腑に落ちない」「腑」「臓腑」からきている漢字であり、「心の中の考え」という意味があります。

この意味を文字って「人の意見は受け入れられない」と解釈されるようになりました。

使い方としては「この結果は腑に落ちない」と言い、自分の思っていることとはまったく予想していないことに動揺し、気持ちがおさまらないという状態を表します。

「釈然」と「腑に落ちない」の違い

「釈然」と「腑に落ちない」の違い

「釈然」「腑に落ちない」の違いを、分かりやすく解説します。

迷いや疑いが解決したとき、すっきりした気持ちを表すのが「釈然」で、納得できないことがあり、違和感を感じない現実に動揺してしまうさまを表すのが「腑に落ちない」です。

どちらも人の気持ちを言い表す言葉ですが、「腑に落ちない」は合点がいかずに、気持ちがモヤモヤしている状態を言い表し、「釈然」は自分への疑いが解消して、晴れやかな気持ちになった人の「気分」という違いも見られます。

「釈然」の例文

「釈然」の例文

・『自分が事件に関与しているのではないかと疑われたことに釈然としない』
・『納得がいかない結果ではるが、自分なりに解釈して釈然とした』
まったく関与していないことで疑われたとき、「釈然」としない人は苛立ち、動揺する気持ちを「釈然としない」と言いますが、そんな動揺する気持ちを自分でうまく解決して、疑いを晴らした気持ちを言い表せます。

「腑に落ちない」の例文

「腑に落ちない」の例文

・『腑に落ちない結果に苛立ちを覚えた私はつい家族に怒りをぶつけてしまった』
・『いくら実行しても良い結果にならないとき、私は怒りを覚えてしまう』
何度問題を解こうと頑張ってもいい方向に向かわないとき、ひどく動揺し、苛立つ人はまったく関係がない者へその気持ちをぶつけてしまいます。

中には、怒りに包まれてパニックになってしまう人もいるほど「腑に落ちない」結果は人の気持ちを動揺させるものなのです。

まとめ

まとめ

どちらも起きている物事の結果に対して自分が思っていることが違うと思うとき、気持ちが動揺するさまや苛立つ気持ちを表す言葉です。

「釈然」はうまく問題が解決して、敵対していた人と打ち解けたときやすっきりしたときに使い、「腑に落ちない」は思っていることと合点しないときに使うといいでしょう。