「浅慮」と「浅薄」の違いとは?分かりやすく解釈

「浅慮」と「浅薄」の違い言葉・カタカナ語・言語

この記事では、「浅慮」「浅薄」の違いを分かりやすく説明していきます。

「浅慮」とは?

「浅慮」とは?

「浅慮」とは深く考えることをせず短絡的なことや、そういった人を指す言葉です。

慮という字は様々なことに頭を回し思い巡らせることであり、それに十分ではないことを表す浅を合わせ、十分に思い巡らせられていないと表現する言葉が「浅慮」です。

考えようと思えば十分考えられる知識や思考能力はあるのに、それを面倒臭がったり、そこまで考える必要はないと判断してしまい、うかつな行動に出てしまう人が「浅慮」と言われます。

また相手の意見に口出しする時に、相手が十分に思慮した上でそう決めたのは承知の上で、浅い考えで口出しするのも申し訳ない、既に考慮したことかもしれませんがという意味で、謙遜として使われることもある言葉です。

「浅薄」とは?

「浅薄」とは?

「浅薄」とは物質や積み重ねに厚みがないこと、少しはあるけれど逆に言えば少ししかないことを指す言葉です。

現在使われている言葉の意味としては、特に知識や見識のような、何かを考えるために必要な情報であったり経験が不十分なことや、そういった積み重ねが足りていない人を指すのに使われます。

「浅薄」な人は短絡的な行動に出てしまいがちであり、そのため思慮が足りないことも指す言葉にもなっていますが、それは気質のせいで考えが足りないのではなく、十分に考えるための情報が足りないせいで、考えられることが少ないのが原因です。

そのため「浅薄」は気質を指す言葉ではなく、思慮をするために必要な能力が足りていない事を指す言葉と言えます。

「浅慮」と「浅薄」の違い

「浅慮」と「浅薄」の違い

「浅慮」「浅薄」の違いを、分かりやすく解説します。

「浅慮」は考えが浅く十分な思慮ができていないことで、「浅薄」は十分な見識を持ち合わせていないことです。

「浅慮」は十分な知識や思考能力を持っていても、気質的な問題で十分考えることをしないできない事や人を指します。

それに対して「浅薄」は、知識や経験といった能力自体が足りていないせいで、浅い考えしかできないことを指す言葉です。

また「浅慮」は人に意見する際などに、自分を謙遜する言葉として使うことも一般的な使い方ですが、知識や経験が足りない場合の謙遜は「浅薄」とはまた違う言葉が使われるので、「浅薄」は謙遜の言葉として使われません。

また「浅慮」は思慮に関することにしか使われない言葉ですが、「浅薄」は主な使い方が思慮や見識についてというだけで、思慮に関する事以外にも使われることがある言葉です。

まとめ

まとめ

思慮が足りない人が「浅慮」「浅薄」と言われることはしばしばありますが、この二つはニュアンス程度の違いではなく、どうして思慮が足りていないのかという点で明確に違いがある言葉です。

単純に考えが足りていないことを指したり、気質によるものなら「浅慮」と言えば良いですが、能力不足を指摘したいなら「浅薄」と使いわけましょう。