この記事では、「凡庸」と「平凡」の違いを分かりやすく説明していきます。
「凡庸」とは?
「凡庸」は元々は、お金で雇われた兵隊の能力が、平均的な兵隊だという意味でした。
凡という部分が、普通という意味で、普通の平均的な兵隊さんという意味が、元々の「凡庸」の意味です。
しかし、現在においては、普通であることを「凡庸」と呼びます。
「平凡」とは?
「平凡」は、普通であるという意味で、これは、凡が不通という意味で、たいらであるが故普通という意味になります。
なお「非凡」という言葉がありますが、これは、普通という物ごとを否定しており、普通ではないことを指しますので、凡の前につく文字が、どういう状態であるかを表しているのです。
「凡庸」と「平凡」の違い
「凡庸」と「平凡」の違いは、あえて言うのであれば、兵隊さんの能力が平均的であったことを意味する言葉だったか、単に普通だという意味しかないかという違いです。
両者のどちらを使用しても意味は同じなので好きな方を使用すればよいでしょう。
「凡庸」の例文
・『あの人物の作品は、凡庸すぎる』
この例は、「凡庸」という普通や平均的だという意味を否定的にとらえています。
「凡庸」は、普通であることに対して否定的にとらえる際に使用される言葉です。
よってこのケースは、普通であることがつまらないという否定を行っています。
なお、「平凡」も過ぎるという言葉を使用すれば、否定的に見ることが可能なので、両者ともに否定的な意見を構築することは容易です。
ただ、普通であることを否定する場合に出てくるのは「凡庸」という言葉の方が多いです。
「平凡」の例文
・『平凡であることが一番難しい』
この例は、人生などが普通であることの方が難しいと述べています。
つまり、人生は、どんなに頑張っても普通という状態を作るのは、努力以外の何かを必要としているということの表れでもあるのです。
何故なら、普通に就職をしても会社が倒産した場合、普通ではなくなり、普通の維持は周囲の影響も大きいということです。
まとめ
「凡庸」は、元々は、兵隊さんなどのお金で雇われる人物の能力が、平均的であることを意味していましたが、いつしか、「平凡」と同じ意味を持つことで意味は全く同じとなりました。
しかし、平均的であることを否定する場合、「凡庸」という言葉の方が文献などには多く登場しており、「平凡」はあまり否定的な意見やネガティブなイメージはあまりありません。
「凡庸」は、恐らく、兵隊という物の在り方を意味する言葉だったが故、良い悪いをはっきりさせる必要性があるが故、「凡庸」は、普通という意味を持ちつつ、ネガティブなイメージも持っています。
例えば、「凡庸な社長」は、能力不足な社長や、平均的ではある社長という意味になり、何のとりえもないという意味でよく使用されます。
無論、「平凡な社長」という言葉に置き換えれば、これは、普通という意味になるのですが、これは、「凡庸」という文字のイメージがマイナスに偏っているが故、どうしても同じ意味でも受け手側は、「凡庸」に関してはマイナスに受け取るのです。