幕末物は歴史の中でも人気のあるカテゴリーですが、わかりにくい言葉があるのも事実です。
この記事では「京都守護職」と「新撰組」の違いを分かりやすく説明していきます。
「京都守護職」とは
これは『江戸時代にあった幕府の役職の一つで、京都の治安や警備を目的とした役割をもつ』という意味を持っています。
権限としては『京都所司代』、『大阪城代』、近国大名を指揮する権限を持っていました。
『京都所司代』は禁中と公家に関する政務の管掌と京都、伏見、奈良の三奉行を支配や西国大名の監視などを行ったもので、『大阪城代』は5、6万石の譜代大名という関ケ原以前から徳川家の家臣だったものを任命し大阪城に駐在させて治安や警護を当たっていたという役職です。
京都守護職はこの上にある上位組織であり、京都という名前よりも多くの仕事をしていました。
もちろん京都の治安維持のプライオリティはとても高く、京都所司代以外に京都町奉行や有名な見廻り役を指揮していました。
創設は文久2年(1862年)で慶応3年(1867年)に廃止と短命で終わっています。
この当時は『尊王攘夷運動』が活発になり、京都の治安はテロ行為が横行し大きく治安が乱れていました。
尊王攘夷志士の活動が活発になる以前からも所司代や奉行所が治安維持を行っていましたが、これだけではテロ行為を防ぎきれず幕府は『京都守護職』を設置したというのが背景です。
組織の長としては会津藩の松平容保が就任。
京都に約1000人を駐在させたといわれています。
つまり、『対特別テロ組織』という意味が強いのが『京都守護職』です。
「新撰組」とは
幕末物でトップの人気を誇りますがこれは『武芸に優れた人間で編成された浪士隊で、京都守護職の支配下にあった警備部隊』です。
もともと京都見廻り組というエリート旗本で編成された部隊がありましたが、もはや京都の治安は手に負えない状態にあり、急遽採用されたのが『新撰組』なのです。
『新撰組』はご存じの通り、武州にある『試衛館』という田舎道場出身の近藤勇や土方歳三、沖田総司などたたき上げのメンバーが中心になり構成されています。
最初は非正規雇用的な形で『京都守護職』の傘下に置かれていましたが、『池田屋事件』での功績が認められて直参になりました。
『池田屋事件』は京都市中に火を放ち、天皇を拉致しようという過激な思想を持つ長州藩メンバーを一網打尽にした事件であり、テロ行為を未然に防いだ出来事として幕末のハイライトに数えられています。
『新撰組』は幕府からの金銭的なサポートは当初受けることができず、自分達で功績を挙げて資金調達をしなければなりませんでした。
ですので、ぬるま湯につかっている京都見廻り組と違いハングリー精神はくらべものになりませんでした。
事実功績は見廻り組よりも大きく上回っていたとされています。
つまり『新撰組』とは『京都守護職傘下のたたき上げ警備組織』なのです。
「京都守護職」と「新撰組」の違い
この二つは対象が『幕府の役職で京都治安+αの治安維持と警備を目的としたもの』か『京都守護職傘下の警備組織』かという違いではっきりと分けることができます。
つまり『新撰組』は多くある『京都守護職』の組織の内の一つに過ぎないということです。
この二つの辿る物語はとてもはかなく、今も歴史ファンの心を引き付けてやみません。
まとめ
如何でしたでしょうか。
『新撰組』はドラマや小説、アニメでもよく題材にされる為、その成り立ちや役割をおぼろげでも理解している方は多いと思いますが、その上部にある『京都守護職』が一体何の為に存在していたのかを理解している方は少なかったのではないでしょうか。
是非この点にも意識して小説やドラマを見ると違った見え方ができるかもしれません。