「崇拝」と「畏敬」の違いとは?分かりやすく解釈

「崇拝」と「畏敬」の違い言葉・カタカナ語・言語

この記事では、「崇拝」【すうはい】と「畏敬」【いけい】の意味や例文、違いを分かりやすく説明していきます。

「崇拝」とは?

「崇拝」とは?

自分が心から崇めたいと思う人を敬うことを「崇拝」と言い、依存して尊敬するという意味があります。

主に宗教的な対象に使われる言葉で、人々に憂いを与えて心を穏やかにさせる神に対して拝める人の行為を指します。

多くの迷える人々に安心感を与えて、清らかな気持ちにする神は平等と平和の意を表す対象です。

神々しく、手の届かない者ではありますが、そこがどこか敬う対象して選ばれ、心のよりどころとして人々は依存するわけです。

人が持つ悪い心をいいものにしたり、迷いを断ち切れる対象となる者を「崇拝」することにより自分の無力さを強く感じる人もいます。

その無力さを改善し、いい方向へと向かわせる努力するきっかけを作るのも「崇拝」の意味になるのです。

「畏敬」とは?

「畏敬」とは?

おおいに尊重される人や物を「畏敬」と言い、肯定的な気持ちを持って敬う心情を表し、偉大な功績を残した者に対して心からおそれ敬うという意味が強く、恐縮するほど敬服する人のさま、気持ちを伝えられる言葉です。

自分にとって気安く近寄れず、話しかけるのもおそれ多い人が対象となり、とくに世界平和に貢献した人や、偉大なる発明した者、地元で地域に貢献した人など「畏敬の念」を持って敬うのです。

元々は「おそれる」「畏」「うやまう」「敬」を掛け合わせた言葉である「畏敬の念」「おそれかしこまる」という気持ちを持つ対象に対して使われています。

「崇拝」と「畏敬」の違い

「崇拝」と「畏敬」の違い

「崇拝」「畏敬」の違いを、分かりやすく説明します。

宗教的な対象となる神や人々の心のより所になる尊敬の対象を拝み、心を穏やかにするものが「崇拝」と言い、悪い心を改善させ、いい方向へと導く者に対して使われている言葉です。

一方の「畏敬」は偉大なる功績を残した者に対して使われており、素晴らしいことした過去に対して尊敬の念を伝える対象に感謝するという違いあります。

「崇拝」の例文

「崇拝」の例文

・『偶像崇拝の意味を知れば迷う気持ちで苦しむ人々も救われるだろう』
・『思考や言葉によって神聖なるものに懺悔することも崇拝という』
仏像や神像など偶像の信仰を対象に、人々は心から尊敬し、頼れるものができたことで日々の迷いやつらい出来事を忘れられることになり、苦しみから説き放たれることもあるわけです。

それに、神聖なるものに対して思考や言葉によって悪い行為を告白するのも「崇拝」の意味になります。

「畏敬」の例文

「畏敬」の例文

・『取引先の社長が素晴らしい人であれば敬意を示し、畏敬の対象となる』
・『過疎化の村に若者を呼び寄せ、地域活性化を実現した彼に村人一同畏敬している』
自分と同じ立場にいるような相手は「畏敬」の対象にはなりませんが、いつもお世話になっている取引先相手や社長、工場長など立場の高い人は対象となります。

年々過疎化で苦しむ村に若者を呼び寄せる活動した人の偉大なる活動に感服し、感謝する気持ちを伝えるのはまさに「畏敬」です。

まとめ

まとめ

どちらも尊敬する対象に対して持つ人の気持ちであり、いい意味で使われている言葉です。

多くの人の心に光を与えて、不安な気持ちを解消させる「崇拝」は主に神々に対して使うもので、「畏敬」は社会に貢献している、会社の経営に携わって実績を残したおそれおおい人物を対象として使われていると覚えておくといいでしょう。