「ウクライナ」と「ロシア」の違いとは?分かりやすく解釈

「ウクライナ」と「ロシア」の違い地域

この記事では、「ウクライナ」「ロシア」の意味や違い、例文を分かりやすく説明していきます。

「ウクライナ」とは?

「ウクライナ」とは?

東ヨーロッパに位置する「ウクライナ」の首都はキエフであり、国旗は上が青、下が黄色という二色の旗になります。

北にベラルーシ、西にハンガリーが位置する共和制国家で、南に黒海があります。

紀元前10世紀には遊牧民族が住み、黒海北岸にはスキタイ人の騎馬民族が繁栄して勢力を拡大させ、ペルシャやローマ帝国と頻繁に貿易して異国の文化や食材を取り入れて国を潤します。

8世紀にはルーシーという国ができ、11世紀には約150万平方キロメートルもの大きな土地を持つ大国になりました。

13世紀にはキエフ大公国として栄えましたが、モンゴル帝国に追われて国を失った後は国家を作らず、他の国に属した過去があります。

第一世界大戦後は他国から独立するために宣言はしましたが叶わず、1991年にソビエト連邦がなくなったことで「ウクライナ」が誕生します。

19世紀以降には産業地帯になり、飛躍的に経済が発展し、鉄鉱石や石炭が採れることで重化学工業が発達したのです。

「ロシア」とは?

「ロシア」とは?

多くの国の中でも広大な土地を所有するのが「ロシア」であり、首都のモスクワ市はソビエト連邦より様々なものを引き継いでいます。

白、青、赤と三つの太い横縞が並ぶ国旗の「ロシア」は欧州評議会や世界貿易機関、G20など様々なものに加盟しているだけではなく、公式に核兵器を保有する国として認められています。

常備軍に力を入れており、戦略ロケット軍や空挺軍、海軍、地上軍、航空宇宙軍といつ敵から攻撃されても戦える状態です。

スラブ人の文化が色濃く残る「ロシア」には200以上もの民族がいるのも特徴的です。

そんな大国の歴史は古く、9世紀はキエフ大公国の中世国家が生まれ、その後キリスト教が入ってきました。

16世紀にはモスクワ大公国をイヴァン4世が建設し、1900年代に入るとロシア・ソビエト連邦社会主義共和国となり、世界初の人工衛星や宇宙飛行に乗り出し、技術的な進歩を遂げます。

そんなロシア人の祖先はウクライナとベラルーシなど北東ルーシにあり、そこに住むスラブ人は独自の神話や文化に基づいて生活していました。

その後極東ロシアに移住して支配するようになり、地理的に東部と西部に分かれるようになったのです。

「ウクライナ」と「ロシア」の違い

「ウクライナ」と「ロシア」の違い

「ウクライナ」「ロシア」の違いを、分かりやすく解説します。

東西に分かれている「ウクライナ」の東側はロシア人ばかりで構成されていますが、西側はヨーロッパ人とウクライナ人ばかりです。

カトリックが多い西部の言語はウクライナ語で、他はロシア語が使われています。

この国の観光地はリヴィブやクレヴァニ、オテッサで、主要輸出品は化学製品や鉄鋼、鉄製品、アルミニウム、たばこ、機械、機器、穀物などで経済に一役かっています。

対して、国民のほとんどがロシア正教である「ロシア」は原油輸出国であり、貿易収支が経済を支えています。

広大な土地を利用して小麦や米を作り、20種類の鉱物資源を海外へと輸出し、観光資源としてはモスクワやサンクトぺテルブルクの歴史や建物を公開して観光資源にしています。

そんな「ロシア」では気温の格差が大きい大陸性気候で、最も寒いオイミャンコンでは-71℃になりましたが、夏は30℃以上になるほど温暖差が大きいという違いがあります。

まとめ

まとめ

隣接するこの2つの国はどちらも冬は寒くなる場所であり、産業や輸出するものに違いがあります。

しかし、「ロシア人」と呼ばれる人々はその昔「ウクライナ」から移住してきた者であるため、「ウクライナ情勢」が勃発する原因になってしまうわけです。

この2つの国の歴史を知るほど濃密な関係で結ばれていることが分かるでしょう。

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