「素質」と「資質」の違いとは?分かりやすく解釈

「素質」と「資質」の違い言葉・カタカナ語・言語

この記事では、「素質」「資質」の違いを分かりやすく説明していきます。

「素質」とは?

「素質」とは?

「素質」は、生まれつきで才能が期待できるというもので、訓練すれば将来的に大活躍できると期待が持てるものが「素質」です。

よって、「素質」は訓練をしたり、誰かが対象となる人物の能力を見て鍛え上げないと、「素質」は開花しません。

そのため、実は才能があってもだれもそのことに気が付かない場合、「素質」は埋もれたままになります。

「資質」とは?

「資質」とは?

「資質」は、鍛え上げることなく、才能がすでに開花している状態にあり、期待せずとも期待されずともすでに活躍できる状況下にある状態を指します。

そのため、鍛え上げればさらに才能が開花するのが「資質」になり、「資質」とは天性になり生まれた時からその物事ができるという運命のようなものが「資質」です。

「素質」と「資質」の違い

「素質」と「資質」の違い

両者は、共通点においては、天性の才能があるという点においては共通していますが、「資質」は訓練をしたりしないとその上を目指すことはできず、「資質」は、訓練をせずともできるのが「資質」なので違いにおいては、元からできると宿命づけられているか、訓練によって更なる上達が可能かという点が両者の違いです。

「素質」の例文

「素質」の例文

・『悪人としての素質がある』
この例は、まだ、悪人としての才能は花開いていないが鍛え上げげればおそらく悪人となり才能が開くであろうという例です。

よって、「素質」は、根っからの悪人ではないが悪に染まる要素があり、悪人としての修練を積めば才能が開花するという例になります。

「資質」の例文

「資質」の例文

・『悪人としての資質は十分である』
この例は、対象となるものが根っからの悪人で鍛え上げる必要はなく、すでに悪であるという例です。

「資質」は、生まれながらにしてどうであるかにおいて対象が持つ本質であるため、この例においては、対象となる人物の本質は悪であるという例になります。

むろん、最初から悪人だったとは言い切れないのですが、人間は育つ環境により悪や善になるのでこの例においては、人目に付く才能が悪だったということです。

まとめ

まとめ

「素質」であれ「資質」であれ、重要な点は人の目に触れてはじめてその本質を見てもらうことが重要です。

たとえば、「素質」は訓練によって更なる高みを目指せるため、これは人がその能力を見て開花するかを判断しないとなりません。

「資質」については、すでに開花した才能について第3者が見抜かないとならず、本人自体は、その才能に気が付いていないことが多いのが両者です。

よって、両者は「素質」「資質」であるにしろ第3者がしっかりと対象となるものの本質を見極めて訓練する必要性があるか、無いかを判断して能力者をスカウトする必要性があります。

そうしないと、能力者だと思いスカウトした人物が実は能力を持たない場合、「素質」「資質」の両方が欠如しているため才能は伸び悩むでしょう。