後ろめたい気持ちを表す言葉として「背徳感」と「罪悪感」がありますが具体的にはどのような違いで区別されるのでしょうか。
今回は、「背徳感」と「罪悪感」の違いについて解説します。
「背徳感」とは?
「背徳感」とは、「倫理や道徳に背いて後ろめたいと感じる気持ち」を意味する言葉です。
「背徳感」が表すのは「正しいとされることに反抗している道ならぬ感情」です。
生きていく上で正しいとされる道徳や倫理、マナーなどに反しているという感覚を指して「背徳感」と表現します。
一般的な基準として用いられるのが「宗教的道徳」です。
文化や地域によっても異なりますが倫理や道徳の基準としては宗教的な正しさが用いられることが多く、「背徳感」という言葉も狭義では「神様の教えに反しているという感覚」を意味します。
宗教的に禁忌とされている行為をしているときに沸き起こる後ろめたさを指しますが、後ろめたさの中にある「悪いことをしていることに対して抱く得も言われぬ喜び」を指して「背徳感」と表現することもあります。
キリスト教的な倫理基準としては「七つの大罪」が有名ですが食欲に溺れたり怠惰に過ごしたりといった道徳に反する行いをするときは神の教えに背く後ろめたさとともに悪いことをしているとき特有の高揚感を覚えます。
そのような「後ろめたさと喜びが入り混じった複雑な感情」を指す言葉が「背徳感」です。
「背徳感」の使い方
・『隠れて酒を飲むとき得も言われぬ背徳感に包まれる』
・『人に隠れてこっそり行動する背徳感は一度味わうとやめられない』
・『ダイエットしている人の前でみせつけるように甘いモノを食べると背徳感でいっぱいになる』
・『いけないことだとわかっていながらあえて倫理を破る人が跡を絶たないのは背徳感が喜びにつながるからである』
「罪悪感」とは?
「罪悪感」とは、「罪を犯してしまい申し訳なく思う気持ち」を意味する言葉です。
禁止されていることややってはいけないことをしてしまうことを「罪」と表現します。
一般的には法律などのルールによって罪が規定されますが、人が定めたルールとは別に自分の心の中でも悪いことやいけないことに対する罪の意識が存在します。
そのような「心のなかにある罪の意識と照らしあわせて生まれる嫌悪や落胆の気持ち」を指して「罪悪感」と表現します。
「罪悪感」は「罪に対する自覚」もしくは「罪を犯したという自意識」ともいえます。
「自分がやってしまった悪いことを自覚しその重さを意識すること」が「罪悪感」であり社会的な刑罰やペナルティとは別に自分自身に架せられる正心的な罰の一種とみなされます。
「罪悪感」の使い方
・『黙ってお菓子を食べてしまったことに罪悪感を抱く』
・『罪悪感でいたたまれなくなり自首することにした』
・『法的な責任は免れたが心のなかは罪悪感でいっぱいだ』
・『避けようのない事故だったので罪悪感を持つ必要はない』
「背徳感」と「罪悪感」の違い
「背徳感」と「罪悪感」の違いは「後ろめたさを感じる対象」です。
どちらも後ろめたさを指す言葉ですが「背徳感」が倫理や道徳などと照らし合わせたときの後ろめたさを指すのに対し「罪悪感」は自分自身の心の内側にある正義感や正しさと照らしあわせたときの後ろめたさを意味します。
道を外した自分の行いに対する感情が「背徳感」、罪を犯したことによる被害者や社会に対する感情が「罪悪感」という違いで区別されます。
まとめ
「背徳感」と「罪悪感」は似ているようでまったく意味が異なる言葉です。
使う場面も感情の種類も違うので混同しないよう注意しましょう。