「穢れ」と「汚れ」の違いとは?分かりやすく解釈

「穢れ」と「汚れ」の違い言葉・カタカナ語・言語

この記事では、「穢れ」「汚れ」の違いを分かりやすく説明していきます。

「穢れ」とは?

「穢れ」とは?

「穢れ」は、宗教における考え方で、魂という存在が不浄に染まることのほか死というものに捕らわれたり、死に近いものに触れることを「穢れ」と呼びます。

なお、「穢れ」は、「汚れ」と異なり禊という儀式によって救済という形で取り除かれるのですが、これはあくまで宗教の考えによって救済という形をとっているだけで、事実人を殺害して「穢れ」を受けた人物の事実は消えません。

よって、「穢れ」は、事実としては消えない存在です。

「汚れ」とは?

「汚れ」とは?

「汚れ」は、消え去ることが可能で、清掃によって除去できます。

「汚れ」は目に見えており、不衛生で汚いという状況にあるものを「汚れ」と呼び、目で見て汚い部分を清掃すれば「汚れ」を取り除けます。

「穢れ」と「汚れ」の違い

「穢れ」と「汚れ」の違い

両者の違いは、目に見えるものであるか見えないもので人間の魂に影響を与えるものであるかです。

「穢れ」は、非人道的なことを行うことで魂が悪い方向に導かれることを意味し、「汚れ」は汚いという物体の事実を指し、これは目で見て除去可能ですが、「穢れ」は絶対に除去は不可能です。

よって両者は、除去できるのが、「汚れ」「穢れ」は不可能と考えます。

「穢れ」の例文

「穢れ」の例文

・『穢れの救済は事実上不可能』
この例は宗教における問題のことを指し、例えば、人を殺害して魂が悪に傾き、「穢れ」を受けたとした場合、それを救済することは不可能だと述べています。

よって、宗教においては、罰を与えることで対象を救済するという考えに行きつき、生きながらえながら苦痛を浴びせるか、対象を抹殺するかで魂を救うという考えを指すのですが、これは事実上、罰を与える側も悪ではないかということになり、罰を与える側を救済するのか?という問題が生まれるが故、事実上「穢れ」の救済は無理だと述べています。

「汚れ」の例文

「汚れ」の例文

・『換気扇の汚れを除去した』
この例は、換気扇の肉眼で見て不衛生で汚いと思える部分を除去したという例です。

「汚れ」は肉眼で見えるので清掃という方法で除去すればきれいになります。

まとめ

まとめ

「穢れ」については、様々な意見があり、実は救済によって救えないのではないか?という声もあります。

その理由は、「穢れたもの」に対して罰を与えるという方法で救済をした場合、最終的に罰を与える側も罰を与えることが楽しくなってくるとこれは悪では?という考えになり、どっちが悪人だかわからないという問題が起きてしまい、救済者だという人物が実は、単なる悪人では?ということになりかねないが故、「穢れ」は実質目に見えないうえで除去できないと言われているのです。

一方で、「汚れ」は単にその場が汚く不衛生だというだけで、不衛生な原因を取り除けば、きれいな状態になるため、こちらは、除去方法を知っていれば容易にきれいにすることが可能です。

よって、両者は、目に見えない何かを「穢れ」と呼び、救済という方法で救おうとするのですが、救済事実不可能と考える人物も存在し、除去を可能とするのは、「汚れ」だけになります。