ここでは「野望」と「大志」の違いについて、詳しく説明していきます。
「野望」と「大志」の違い
「野望」は、一言で表現すれば「企み」のことです。
それも、あまりいい意味では用いられず、とても実現できないと思われる壮大ものや、大掛かりな「悪巧み」(に近いもの)という解釈になります。
これを抱く、あるといった使われ方になる言葉ですが、その時点で何か悪いことでも考えているのだと思われてしまうことが多いでしょう。
ですが、必ずしもそういう意味で使われる訳でもなく、「あの高級車が欲しいという野望がある」と使った時には、大きな夢として使っていると解釈できます(間違った使い方ではありません)。
「大志」は文字通り、大きな志(こころざし)を意味する言葉です。
「野望」のようなとても無謀だと思えてしまうようなことや、悪い内容ではない大きな望み(夢)や希望、そのようになりたいと思うことだと解釈してください。
こちらも抱く、もつなどと使われる言葉で、「少年よ、大志を抱け」というクラーク博士の言葉がとても有名です。
「野望」を使った例文と意味を解釈
「野望」を使った例文と、その意味の解釈になります。
いい意味で使うことはあまりない言葉ですが、これがない人間には魅力もないなどと言われることもあり、それが日々の活力になっているという人も居るでしょう。
「いつか社長になってやるという野望を抱きながら、日々頑張っている」
前述の高級車と同じように、大きな夢として捉えることができる使い方です。
このような使い方では特に悪い意味にはなりませんが、言葉の響きから、いいイメージにもとれないのがこの言葉だと言えるでしょう。
「大志」を使った例文と意味を解釈
こちらは「大志」を使った例文と、その意味の解釈になります。
先の「少年よ、大志を抱け」は、「小さくまとまるな」という意味だと解釈されています。
「大志をもつのはいいことに違いないが、それだけでは何の意味もない」
「大志」と表現されるような大きな望みや希望があるのであれば、当然、その為の努力がつきものになります。
それに向けて何もしていないようでは、叶うはずもありません。
まとめ
「野望」と「大志」の違いは、以上の通りです。
悪い内容でなくとも、「野望」はあまり使うべきではなく、できれば「大きな夢」のような言葉と置き換える方が無難です。