「屈辱を晴らす」と「雪辱を果たす」の違いとは?分かりやすく解釈

「屈辱を晴らす」と「雪辱を果たす」の違い言葉・カタカナ語・言語

この記事では、「屈辱を晴らす」【くつじょくをはらす】と「雪辱を果たす」【せつじょくをはたす】の意味や使い方、違いを分かりやすく説明していきます。

「屈辱を晴らす」とは?

「屈辱を晴らす」とは?

過去、相手から受けた辱め【はずかしめ】をいつまでも解消できない状態である人は、心にわだかまりを抱えつつ過ごしてきたことで苛立つ気持ちに包まれている状態をすっきりさせる行為を「屈辱を晴らす」【くつじょくをはらす】と言います。

元々は屈服させられることで心底恥ずかしいと思った人はいつか相手を同じ目に遭わせたいと強い復讐心を持ち、その目的をとげて、青く澄み切ったような晴ればれとした空のようにすがすがしい気持ちになろうと作戦を考えるわけです。

心が折れて、立ち直れないような、精神的に恥ずかしい気持ちをいい方向へと向かわせるため「屈辱を晴らす」と使います。

「雪辱を果たす」とは?

「雪辱を果たす」とは?

相手から受けた恥に対して、仕返しして消し去るのが「雪辱を果たす」【せつじょくをはたす】と言います。

元々は「辱」【はじ】と「雪ぐ」【すすぐ】という意味があり、洗濯物を洗うようきれいに汚れを落としてしっかり濯ぐさまに似ていますが、現代では過去に競技したとき自分を倒した相手に対して負けたことを挽回し、負けた恥をすすぎ、きれいさっぱりにして名誉を挽回することを指す言葉になりました。

とくに、理不尽な勝ち方して負けたときはその恨みを晴らし、いきなり暴力ふるわれたときそのし返しするために「雪辱を果たす」と使われています。

「屈辱を晴らす」と「雪辱を果たす」の違い

「屈辱を晴らす」と「雪辱を果たす」の違い

「屈辱を晴らす」「雪辱を果たす」の違いを、分かりやすく解説します。

相手からの辱めにより心にわだかまりを抱えた状態で心が折れてしまい、立ち上がれずにいるためそのもやもやを解消して、前向きな気持ちするのが「屈辱を晴らす」であり、一方の「雪辱を果たす」は恥をかかされて精神的に恨みを持ったとき挽回して、自分の負けた気持ちを明るくするのが「雪辱を果たす」という違いがあります。

「屈辱を晴らす」の例文

「屈辱を晴らす」の例文

・『10年前に味わった屈辱を晴らすため私は敵対する相手に挑戦状を叩きつけた』
・『決勝戦で破れたライバル校への屈辱を晴らすため猛練習し、見事勝利にこぎつけた』

かなり精神的に折れるようなひどいことされた人はその屈辱を忘れずに、敵対する者へいつか同じようにしてやろうと思ったとき挑戦状を叩きつけて対戦するわけです。

本当なら勝てる相手であったのに、見事にやり負かされてしまったその辱を晴らすため猛練習して決勝戦で破れたライバル校へ挑み、勝利するその状況を表すわけです。

「雪辱を果たす」の例文

「雪辱を果たす」の例文

・『敵対する相手に負けた2位の選手は、一昨年の雪辱を果たすためトレーニングして優勝した』 ・『落選した○○氏には雪辱を果たすため来年の選挙では頑張ってほしい』 ライバルに負けた選手が雪辱を果たすため人並み以上にトレーニングしたことで優勝するいい結果を残したり、落選した人に期待する人は、次回頑張ってほしいという気持ちを強く伝えます。

まとめ

まとめ

どちらも精神的に傷ついたことに対して、いつか挽回してやるという人の気持ちを表せる言葉ですが、「屈辱を晴らす」は心を傷つけられた辱に対して恨みを晴らすときに使い、「雪辱を果たす」は恥をかかされて恥ずかしい気持ちにされたので反撃するときに使うと覚えておくといいでしょう。