「悲愴」と「悲壮」の違いとは?分かりやすく解釈

「悲愴」と「悲壮」の違い言葉・カタカナ語・言語

この記事では、「悲愴」「悲壮」の違いを分かりやすく説明していきます。

「悲愴」とは?

「悲愴」とは?

「悲愴」とは目を背けたくなるほど悲しいことや、そういった様を指す言葉です。

ただただ悲しく、悲惨であり、救いが見えない状況そのものであったり、そうした状況に置かれている人に使われます。

人に関して使われる場合には、強い悲しみに襲われているのは勿論、その悲しみに飲み込まれてしまっていて、前を向くこともできていない人が「悲愴」な人です。

悲しみを表現する言葉の中でも、特に強烈でどうしようもない悲しみを表現した言葉と言えます。

悲劇を描いた創作物においても「悲愴」さは重要になり、創作物においては登場人物にとことん辛い境遇を与え、それにより打ちひしがれる姿を見せることで、より辛さや悲しさを強調することが、演出としての「悲愴」さと言えるでしょう。

ただひたすらに悲しく、痛ましさしか感じられない悲しさが「悲愴」です。

「悲壮」とは?

「悲壮」とは?

「悲壮」とは悲しさの中にも凛々しく立派なところが見て取れる様を指す言葉です。

ただ悲しみに明け暮れるだけでなく、悲しみを感じながらもそれに飲まれないように前を向いたり、悲しみを感じさせないよう気丈に振る舞っている姿などが「悲壮」と言われます。

そのため悲というネガティブな意味に取られる文字が使われていますが、言葉としてはネガティブや後ろ向きどころか、反対に前向きな言葉です。

創作物においても悲劇的な展開は見せ場になりますが、ただただ悲しいだけで救いがない展開は人を選ぶので、ただ悲しいだけではなく、それに立ち向かえる芯の強さを見せる「悲壮」な展開に持っていくことが多いでしょう。

「悲愴」と「悲壮」の違い

「悲愴」と「悲壮」の違い

「悲愴」「悲壮」の違いを、分かりやすく解説します。

「悲愴」は目も当てられないほど悲しく痛ましいことで、「悲壮」は悲しいながらも凛々しさや勇ましさを感じさせることです。

「悲愴」はネガティブな言葉ですが、「悲壮」はネガティブな言葉とは限らず、比較的ポジティブな意味で使われることも多くあります。

また「悲愴」な場合は救いになるようなことが何もないことがほとんどですが、「悲壮」の場合は凛々しさを感じさせるような立ち振舞ができること自体が救いと言えるでしょう。

純粋に悲しさだけしか見えないのが「悲愴」であり、悲しさは感じるもののそれだけではなく、悲しさと勇ましさを両立させていて、どちらも感じさせる様子が「悲壮」です。

まとめ

まとめ

読みが同じでどちらも悲という文字が使われていますが、ひたすら悲しいだけで後ろ向きな「悲愴」に対し、「悲壮」は悲しいだけではなく凛々しさもあり立派な姿を見せることなので、どちらかと言えば前向きな言葉です。

とても悲しいことを強調するなら「悲愴」を使い、悲しさに立ち向かえていることを表現するなら「悲壮」を使うべきですが、もし間違えると意図とは逆の表現になってしまうので注意しましょう。