「屈辱」と「侮辱」の違いとは?分かりやすく解釈

「屈辱」と「侮辱」の違い言葉・カタカナ語・言語

この記事では、「屈辱」「侮辱」の違いを分かりやすく説明していきます。

「屈辱」とは?

「屈辱」とは?

「屈辱」とは恥ずかしい思いをさせられたり、面目を失わされていることです。

またただ恥ずかしい思いをさせられたというだけでなく、その相手に屈するしかなく、その場でやり返したり、相手のそういった行いに抗議するといった抵抗もできないような状態が「屈辱」と言われます。

その場でやり返せたり、屈服せざるを得ない相手ではない場合は、「屈辱」を受けたとは言わずに、他の言い方になるでしょう。

恥ずかしい思いをさせられたり、面目を失わされることというだけでなく、その上で屈服せざるを得ない悔しさも、「屈辱」のポイントと言えます。

「屈辱」はするやされるとは言わず、受ける与えるものです。

なのでそういった思いをさせる行動を指すのではなく、恥ずかしさや怒り、それらを受けても抵抗できない悔しさという感情を指したり、そういった感情を持つことになった状態を指す言葉と言えます。

「侮辱」とは?

「侮辱」とは?

「侮辱」とは相手を軽く見て侮り、相手を馬鹿にしたり罵ったりして、相手の名誉や気持ちを傷つけることです。

「侮辱」を受けた相手は恥ずかしい思いや怒りを覚えるものですが、その上で相手が何らかの抵抗をしてくるか、それとも抵抗が許される立場ではなく我慢するかは「侮辱」とは関係ありません。

また相手を下に見ている自覚があるか、侮っているかなどもそこまで重視されておらず、自覚なしに相手を軽んじていたり、うっかり相手を馬鹿にしてしまうような発言をしてしまった場合でも、無意識の内に軽く見ていたということで「侮辱」として扱われます。

「侮辱」は相手がそれを受けてどう思ったかも関係なく、相手を辱めるような言動という行動を指す言葉です。

そのためすることもされることもありますし、受けることもありますが、「侮辱」を与えることはありません。

「屈辱」と「侮辱」の違い

「屈辱」と「侮辱」の違い

「屈辱」「侮辱」の違いを、分かりやすく解説します。

屈服せざるを得ない相手から辱められたり面目や誇りを傷つけられることが「屈辱」で、相手を軽く見て辱めを与えたり名誉を傷つけることが「侮辱」です。

「屈辱」は感情の状態を指す言葉ですが、「侮辱」は行動を指します。

また「屈辱」は与える側と受ける側の力関係に差があり、傷つけられても屈するしかありませんが、「侮辱」はする側とされる側の力関係は一切考慮せず、なすがままにならないといけない立場の場合もあれば、対等な立場という場合もあります。

まとめ

まとめ

「屈辱」「侮辱」も相手の尊厳を傷つけることではありますが、屈服しないといけない相手から「侮辱」を受けることが「屈辱」と説明することができ、この関係性を理解すれば、立場によるところが大きいというのも理解できるはずです。

ただの「侮辱」ならやり返して溜飲を下げることもできますが、「屈辱」だと耐え忍ぶことしかできないことがほとんどなので、「屈辱」の方がより強く悔しさを感じる言葉としても扱われます。