この記事では、「意義を満たす」と「意義を果たす」の違いを分かりやすく説明していきます。
「意義を満たす」とは?
「意義を満たす」は、自分の存在する意味を満たすことであり、簡潔に言えば、存在を周囲に認めてもらうことで充実感を得ることです。
なので、「意義が満たされない」ということは、周囲が誰も自分という存在を認めていないが故、拒絶されている感情が脳裏に走るのです。
なお、意義については、価値観だと考えてもらうとわかりやすく、存在そのものの価値観になります。
「意義を果たす」とは?
「意義を果たす」は、自分の存在というものを証明できたと示すことでいわば、自己満足による存在の再認識です。
たとえば、自分が善行を行ったという事実について自分で善いことをしたなと自覚して満足すれば、それは、「意義を果たす」となり、自分の存在価値は善行をしたということが証明されたとなります。
なお、意義は価値なので別に善なる行動のみが人間の存在を認めているわけではありません。
なので、悪行で自分というものの存在が確立され自分のしたことに満足すれば、「意義を果たす」になります。
「意義を満たす」と「意義を果たす」の違い
両者の違いは、自己満足によるものか、周囲が認めるかです。
自己満足については、「意義を果たす」になり自分の満足のいく結果が自分という存在を確立したとなるのですが、「意義を満たす」は、周囲から認められて初めて満足に至るので、これは自己満足ではなく、周囲が認めたうえで周囲の勧めで満足となります。
「意義を満たす」の例文
・『周囲にボランティア活動が認められ、意義を満たす』
この例は、周囲からボランティアをしていることについて周囲がその行いを認めたが故、自分という存在について周囲の反応で誇りに思う結果になったという例です。
「意義を満たす」は、自己満足ではなく、誇りに思える部分があるかと考えるとより明確になるでしょう。
「意義を果たす」の例文
・『盗賊となり果てたが周囲の人々の生活を助けるという意義を果たす』
この例は、盗賊というものになったが盗賊という方法で周囲の人々の生活を助けることができて満足したという例です。
「意義を果たす」は自己満足なので、この例の場合、盗賊という形で存在をアピールして周囲の人々の生活を助けることに自己満足しているという例になります。
ただし、周囲の人々は、盗賊に助けられていますので、ひょっとしたらそうした存在を快く思ってない可能性もあります。
まとめ
「意義を満たす」は、認められることが重要でこれが認められないと単なる自己満足になり、「意義を果たす」になります。
「意義」については、存在する価値観という解釈になり、つまりは自分の価値観を満たすか、存在が持つ役割を果たすかになり、価値観を満たすというのは周囲から必要とされることで、果たす側は、別に周囲から必要とされる必要性はなく、単なる自己満足でも構いません。