この記事では、「御巣鷹の尾根」と「慰霊の森」の違いを分かりやすく説明していきます。
「御巣鷹の尾根」とは?
1985年8月12日に発生した日本航空123便墜落事故の現場一帯を指す言葉です。
群馬県多野郡上野村の山中に位置していて、事故発生時に命名されたものとなっています。
1986年に御巣鷹山慰霊碑が建てられ、慰霊の地、事故再発を誓う地となっています。
慰霊登山が毎年夏に行われていますが比較的難所でもあり、自動車で行ける場所というわけでもありません。
慰霊施設として慰霊の園が御巣鷹の尾根から北東に10kmほど進んだ上野村楢原地区に作られ、身元がわからなかった遺骨の埋葬も行われています。
「慰霊の森」とは?
1971年7月30日に発生した全日空機雫石衝突事故の追悼施設として1974年に法人として設立されています。
岩手県岩手郡雫石町に所在しており、毎年慰霊祭が行われていました。
現在も献花や拝礼行事が行われており、この事故に対する慰霊の地、航空事故再発を誓う地となっています。
2020年5月1日に「慰霊の森」から「森のしずく公園」に名前が変更されていますが、その役割は変わっていません。
「御巣鷹の尾根」と「慰霊の森」の違い
「御巣鷹の尾根」と「慰霊の森」の違いを、分かりやすく解説します。
ともに日本の重大航空事故の発生現場とされ、慰霊する土地となっていますが、慰霊の森は空中衝突による事故であったため厳密な発生現場というわけではありません。
御巣鷹の尾根は群馬県多野郡上野村の山中にあり、慰霊の森、現在の森のしずく公園は岩手県岩手郡雫石町に所在しています。
ともに慰霊碑が建てられており、日本の重大航空事故の現場であるということがわかります。
御巣鷹の尾根は登山という概念にある土地で、交通機関で全てを終えることはできない厳しい土地にあります。
日航機事故記憶保存館、慰霊の園 慰霊塔・納骨堂は御巣鷹の尾根から北東に10kmほど進んだ上野村楢原地区に所在しており、同日に参拝するのはかなり難しいと言えます。
「御巣鷹の尾根」と「慰霊の森」ともに事故から期間がかなり経過しており、慰霊の森では施設の建て替えも行われています。
ただし重大事故の慰霊という重大性からこれら施設は維持されていくものと考えられ、場所が移動されたとしても同じ趣旨の施設が作られ慰霊され続けていくことでしょう。
航空事故という背景から企業が関わっており、まったく整備がされないということはないという側面もあります。
まとめ
群馬県多野郡上野村の「御巣鷹の尾根」と岩手県岩手郡雫石町の「慰霊の森」(現 森のしずく公園)は日本の重大航空事故の慰霊のためにある施設・土地であり、ともにかなりの時間が経過しているため、事故の記憶の伝承などが行われる土地という意味も持ちつつあります。
日航機事故記憶保存館、慰霊の園 慰霊塔・納骨堂も同じ意図の施設ということができるでしょう。