悲しいに暮れている姿や状態を表す言葉には「悲愴感」と「悲壮感」があり、同音異義語なので意味を間違えやすいものとして有名です。
この記事では、「悲愴感」と「悲壮感」の違いを分かりやすく説明していきます。
「悲愴感」とは?
「悲愴感」とは非常に悲しみを感じている状態や、痛々しい感情にあふれている姿を表す言葉です。
痛みや悲しみを感じている様子を表す言葉であり、その他の感情を抜きにして悲しみに暮れる時に使われます。
「悲愴感」で使われる「愴」という漢字は悲しみを意味する言葉でありあまり日常的には使われませんが、同じ意味の言葉を重ねたことによってできた「悲愴感」は色々な場面で使うことが可能です。
会話でも使うことが可能であり、非常に悲しい様子を表す言葉として小説のキャラを表現する際にも使われています。
クラシックの音楽には「悲愴」という題名が付いたものがあり、チャイコフスキーの楽曲やベートーベンの楽曲が有名です。
「悲壮感」とは?
「悲壮感」とは悲しみを感じている様子と同時に、それに対してめげない気持ちを持っている時や、勇ましい気持ちを持っている状態を表す言葉です。
絶望的な状態に陥ってしまい悲しみに暮れたとしても、それに対して反抗をしたり諦めない気持ちを持った勇ましさが両立しているのが特徴です。
「悲壮感」に使われている「壮」の漢字は「壮大」、「強壮」、「壮烈」など勇ましい状態を表す熟語に使われており、「悲壮感」は悲しい感情だけではなく人間的な希望を持ち合わせている時に使うのが特徴です。
テレビドラマやドキュメンタリーでも苦難に陥った人が努力や周囲の支えによって立ち向かう姿を描くものが多いのですが、このような姿は「悲壮感」があふれるものとなっています。
「悲愴感」と「悲壮感」の違い
「悲愴感」と「悲壮感」はどちらも悲しみを感じている状態に対して使う言葉です。
同音異義語ということでどちらも強い悲しみの感情の時に使うものだと思われていますが、純粋な悲しみに対しては「悲愴感」が使用されます。
悲しみだけではなくそれを乗り越えようという思いや勇ましさを持ち合わせている状態に対しては「悲壮感」が使われるので、この2つの意味は大きく異なるので注意しましょう。
「悲愴感」の例文
・『悲愴感にあふれた顔を見ていられなかったので、彼女を思わず抱きしめた』
・『その歌詞は青春の悲愴感を描いており、心に刺さるものがあった』
「悲壮感」の例文
・『彼はケガしても諦めずに行動しており、悲壮感な目は輝いていた』
・『アニメラストのどんでん返しで一気に悲壮感が襲ってきて、その構成には参ってしまった』
まとめ
同音異義語である「悲愴感」と「悲壮感」は悲しい時のみ使う言葉として誤解されることが多いのが特徴です。
純粋に悲しい状態を表す時には「悲愴感」を使いますが、悲しみの中でもそれに抗う勇ましさを持っている状態を表す時には「悲壮感」を使います。