「理解」と「共感」の違いとは?分かりやすく解釈

「理解」と「共感」の違い言葉・カタカナ語・言語

この記事では、「理解」「共感」の違いを分かりやすく説明していきます。

「理解」とは?

「理解」とは?

「理解」とは、それが正しく分かること、内容が飲み込めることの表現になります。

「それについては理解した」のように使うと、それについて、きちんと飲み込めたと言っているのと同じです。

「住民の理解を得たい」とすると、住民の人たちに分かってして欲しいという解釈になり、「理解が不能だ」とすれば、分からない、内容が飲み込めないと表現しています。

「共感」とは?

「共感」とは?

「共感」は、その通りだと思う気持ちを表す言葉です。

「彼の意見に共感した」とすると、彼の言った通りだと思ったと表現しています。

逆に、「共感できない」とすれば、そうだとは思わないという意味になり、「共感が集まった」と使った時には、肯定意見が集まったことになります。

その「共感」する対象が正しい、間違っているといったことは問わず、そうだ、その通りだと同調する時に用いられます。

「理解」と「共感」の違い

「理解」と「共感」の違い

「理解」「共感」の違いを、分かりやすく解説します。

「理解」は、正しく分かるという意味になりますが、本当に分かったのかとは別の問題になります。

よって、「理解した」と使った時にも、本当に分かったのかどうかとは別問題です。

「共感」は、そうだと同調することで、「多くの共感を呼んだ」のように使われると、多くの肯定意見が得られたという解釈になります。

「理解を得る」ことは、「共感」と置き換えても意味が通りそうですが、前者だと、分かってもらうことになり、後者の場合には、その通りだと思ってもらうことになり、若干ニュアンスが異なります。

似ている意味の言葉ですが、「理解した」は、「共感した」と同じではなく、後者は気持ちの上で同調したことを表す使い方です。

まとめ

まとめ

「理解」「共感」は、このような意味になります。

分かってもらう場合には、「理解」を求めないといけません。