ニュースや情報番組で政治家やコメンテーターなどが「あくまで『私見』ですが」「『所見』では問題なかった」などの発言しているのを見たことがある人は多いでしょう。
しかし「私見」と「所見」の違いをきちんと説明できる人はあまりいないのではないでしょうか。
この記事では「私見」と「所見」の違いや使い分け方のポイントをわかりやすく説明していきます。
「私見」とは?
「しけん」と読み、個人的な見解、自分一人の意見を言います。
またその意見のことをへりくだり、謙遜して述べるニュアンスがあります。
この言葉で重要な部分は「私」という字です。
昔から人間社会では国や社会などの集合体を表す「公」と「自分」である「私」は明確に区別してきました。
公的な地位にある力を持つ人物が、自分の都合で他の人々に影響を及ぼすことを抑制するため発達してきた概念です。
「公私を分ける」「公私混同しない」のは社会人として重要なプロトコール(ルール、マナー)とされてきました。
「私見」の使い方
「私見」が使用される代表的な例文をみてみましょう。
・その政治家はインタビューで「私見」を述べた。
・「私見」によれば、あれは違法である。
・教授は「私見」もゆるされなかった。
・陪審員は弁護士の「私見」に左右された。
・あの意見は「私見」に類するものだ。
「所見」とは?
「しょけん」と読み、その時その場所で、その人が見たもの、何かについてのその人の具体的な意見のことを言います。
この言葉の重要な性質は「具体的」という部分です。
ある「所」で「見た」ものです。
人から聞いたり、想像したりしたものではなく、自分の目で見たことを下敷きに抱いた考えを指します。
あくまで「見た」だけでの判断なので真実は別にあるかもしれない、というニュアンスを含む場合があります。
きちんと調べたわけではないが、見たところ、一見したところ、このような「所見」を抱くに至ったというものです。
似た言葉に「所感(しょかん)」がありますが、この言葉は「感じたこと」を表し、「見たこと」から「判断した意見」とは異なります。
「所見」の使い方
「所見」が使われる代表的な例文です。
・X線写真による「所見」によると問題はなかった。
・スポークスマンはその事件の「所見」を述べた。
・選挙の候補者らが「所見」演説をした。
「私見」と「所見」の違い
「私見」は個人的な、自分一人の意見を指し、「所見」は見て判断した現時点での意見を表します。
両方とも「見(けん)」という字が使われる「意見」ですが、意味することは全く異なりますので注意が必要です。
使い分けるときは、その考えがどのような経緯で生まれたのかを考えましょう。
実際に見ていないのなら「所見」は使えません。
また自分では「私見」だと思っても、それを持つに至ったきっかけが「何かをみたこと」によるならば「所見」とする方が正しいでしょう。
まとめ
「私見」と「所見」はニュースや社会記事でよくみかける言葉です。
二つの言葉の違いを正しく理解すれば、その「意見」が「個人的なもの」なのか「一見してからの判断」なのか、意見としての位置づけが分かるようになり、情報の理解も深まるでしょう。