「憔悴」と「疲弊」の違いとは?分かりやすく解釈

「憔悴」と「疲弊」の違い言葉・カタカナ語・言語

この記事では、「憔悴」「疲弊」の違いを分かりやすく説明していきます。

「憔悴」とは?

「憔悴」とは?

「憔悴」【しょうすい】とは、心身が疲れ切ってやせ衰えてしまうことです。

漢字の「憔」「悴」は、共にやせ衰えるという意味を持ち「憔れる」「悴れる」【やつれる】と読むことができます。

漢字の成り立ちを見てみると「憔」は、感情を表すりっしんべんと「焦」の組み合わせになっており、「焦」がちぢむ、こがす、という意味を持つことから、心を痛めるほど悩んで弱り体がやせ衰えるさまを表しています。

一方「悴」は、りっしんべんと小さなものを意味する「卒」の組み合わせになっており、心身がちぢこまって小さくなる、つまりやせることを意味しています。

「憔悴」は、心とやつれることに関連する2つの漢字を重ね「心身の疲労が原因でやつれてしまうこと」を切に表しているのです。

ひどく心を痛めるような出来事や悩みがあって、食事も喉を通らないくらい思い詰めている状態、そのために弱ってやせている状態を表しています。

ニュアンスの近い言葉には、疲れ切るという意味の「困憊」【こんぱい】や心身が弱り切る「衰弱」【すいじゃく】などがあります。

「憔悴」の例文

・『子どもが昨日から行方不明になり、夜も眠れず憔悴しきっている母親』
・『彼女は両親が事故で急死し、見るのも気の毒なほど憔悴している』

「疲弊」とは?

「疲弊」とは?

「疲弊」【ひへい】とは、心身がぐったりするほど疲れることです。

また、経済的に苦しくなり経営が困難になる状況を指して使われます。

「疲」はつかれる、心身の力を使い過ぎて弱る、「幣」はぼろぼろになる、弱るという意味を持つ漢字です。

2つの漢字を組み合わせた「疲弊」は、心や体がぼろぼろになるまで疲れる、弱るさまを表します。

また、財源や人的資源を使いつくし経営の持続が難しくなる状態も表します。

疲れることは「疲労」【ひろう】ともいいますが「疲労」「疲弊」では、体力や気力の消耗度が違います。

「疲労」は休憩すれば回復します。

「疲弊」は、少々休憩した程度で回復しないくらい疲れが蓄積した状態です。

「疲弊」の類語に「疲労困憊」【ひろうこんぱい】や「疲憊」【ひはい】があります。

いずれも疲れて心身が弱っているさまを表しており、「疲弊」と同じニュアンスで使うことができます。

「疲弊」の例文

・『作業が深夜まで続き、社員たちはすっかり疲弊しきっている』
・『地方では、自治体の財政が悪化し、疲弊した企業が倒産するケースが増えている』

「憔悴」と「疲弊」の違い

「憔悴」と「疲弊」の違い

「憔悴」「疲弊」の違いを、分かりやすく解説します。

「憔悴」は心身が疲れ切ってやつれることです。

「疲弊」はぐったりするほど疲れることです。

どちらも、疲れて弱り切っている状態を表していますが「疲労」よりは「疲弊」「疲弊」よりは「憔悴」のほうが疲労の度が大きいイメージです。

「疲弊」は少々休憩しても回復しないくらいぐったり弱っている状態を指し、「憔悴」は心身の疲れが強く、やつれてしまうほど弱っている状態を指しています。

「憔悴」は心労がたたってやつれること、「疲弊」は経営がうまくいかず疲れが見える状態を指すことが多いです。

まとめ

まとめ

「憔悴」「疲弊」はどちらもひどく疲れている様子を表す言葉ですが、使われている漢字自体が難しいので、両者の違いがイメージしにくいかもしれません。

意味は少し違うので、両者の違いを理解して正しく使い分けられるようにしておきましょう。