この記事では、「苛烈」と「過酷」の違いを分かりやすく説明していきます。
2つの似た印象の言葉には、どのような意味と違いがあるでしょうか。
「苛烈」とは?
「苛烈」という言葉には、どのような意味があるでしょうか。
「苛烈」は「かれつ」と読みます。
「苛烈」は「厳しく激しいこと。
またその様子」という意味があります。
困難が多く大変で、程度が度を過ぎて、はなはだしいような状態、酷い状態にあるとき「苛烈」という言葉を使います。
例えば、戦争がはじまると、兵士は困難が多く、酷い状態に追い込まれてしまいます。
そのため、「苛烈を極める戦闘に放り込まれる兵士たち」などという文章を作ることができます。
また、受験に合格するため、受験生たちが繰り広げる合格を競う争いは、時に困難で激しい状況に見えます。
このような状況を、「苛烈な受験戦争」などと言うことがあります。
さらに砂漠に生きるトカゲやサソリなどの生き物たちは、生きるために困難でひどい状況に耐えています。
彼らの生きざまは「苛烈な生存競争」などと表現することができるでしょう。
「過酷」とは?
「過酷」という言葉には、どのような意味があるでしょうか。
「過酷」は「かこく」と読みます。
「過酷」は「厳しすぎる様子。
ひどすぎる様子」という意味があります。
何かをするときの状況が厳しすぎる時、また、誰かのふるまいがひどすぎると感じたときなどに、「過酷」という言葉を使います。
例えば、フルマラソンを走るとき、雨が降り、逆風が吹き、零度を下回りそうな低い温度だとしたら、マラソンを走るには、状況が厳しすぎると感じるでしょう。
このような時、「フルマラソンで完走するためには、過酷な環境」などと言うことができます。
また、ボクサーが体重を落とすために、軽量前日に3㎏落とすため、サウナなどに入りっぱなしになる場合は、厳しすぎる減量だと言えるため、「過酷な減量」と表現することができます。
「苛烈」と「過酷」の違い
「苛烈」と「過酷」の違いを、分かりやすく解説します。
「苛烈」は「厳しく激しいこと。
またその様子」という意味があります。
一方の「過酷」は「厳しすぎる様子。
ひどすぎる様子」という意味があります。
どちらも、厳しい状況などに対して使う言葉になります。
とても意味が似ていて、厳密な意味の違いはないと考えて、言い換えることができる同義語とみなしてもいいのではないでしょうか。
ただし、「苛烈」は厳しさに加えて「激しさ」がニュアンスに含まれています。
戦争のように「激しい」と感じられる場面では、「苛烈」という言葉がしっくりきます。
一方で「過酷」の場合は「酷い」というニュアンスが強くなっています。
「これはひどすぎる」と感じるような、気が滅入るような場面では、「過酷」という言葉を使ってみましょう。
まとめ
「苛烈」と「過酷」の違いについて見てきました。
2つの言葉には、若干のニュアンスの違いがありました。
ニュアンスの違いを知り、「苛烈」と「過酷」を使いわけてみましょう。