「疑念」と「疑心」の違いとは?分かりやすく解釈

「疑念」と「疑心」の違い言葉・カタカナ語・言語

この記事では、「疑念」「疑心」の違いを分かりやすく説明していきます。

似たような熟語の差を、しっかり学んでいきましょう。

「疑念」とは?

「疑念」とは?

疑念(ぎねん)とは、疑わしいと思うこと。

本当のことか嘘のことか、迷ってしまう心情をあらわしています。

裏がないか怪しむのが「疑念」です。

疑念は「疑う」「念じる」が組み合わさった言葉です。

「疑う」という漢字には、グズグズしてすぐに決断できないという訳があります。

また心がザワザワと落ちつかず、怪しむという意味もあります。

そして「念じる」には「注意深く見る・心に留める」という訳が込められています。

つまり疑念とは、何か気がかりな事実があってハラハラすること。

怪しむような出来事があって、心が落ちつかないことです。

疑念は「疑念を抱く」「疑念を払拭する」「疑念をあらわす」などと用います。

心にくすぶっている、疑いの気持ちが「疑念」です。

「疑心」とは?

「疑心」とは?

疑心(ぎしん)とは、いぶかしむ心のこと。

素直に信じられず、心が不安定になる様子をあらわしています。

気がかりなことがあって、心中穏やかではいられない状態です。

「疑心」は、もともと仏教から来た言葉です。

自分の心に悪いものがあると、周りの景色はすべて濁って見えると説いたものです。

この文言を言い表した四字熟語に「疑心暗鬼」があります。

疑心暗鬼とは、不安な気持ちで過ごしていると、ふとした物も鬼に見えてしまうという例えです。

疑心はその人の心の状態を、あらわした言葉。

そのため「不安定になってしまい、人を信じられなくなる様子」を述べたものです。

「疑心暗鬼になっている」「疑心暗鬼にかられる」などの言い方をします。

「疑念」と「疑心」の違い

「疑念」と「疑心」の違い

どちらも「疑う」という言葉が入っています。

「疑念」「疑心」の違いを、分かりやすく解説します。

・組織は「疑念」個人は「疑心」
「疑念」「疑心」には「人や物を疑う」という共通したテーマがあります。

そのため区別を付けるのが難しいです。

ただ「疑念」は組織的な問題が起こり、不正を疑うようなシーンで用いられます。

「その資料が本物なのか、疑念の念が生まれている」などと使います。

そして「疑心」は心にくすぶる問題があって、ナーバスになっている状態につかいます。

個人の問題に対して、使われることが多いです。

「事件が尾を引いて、母は疑心暗鬼になっている」などと用います。

組織的な不正が疑われるときは「疑念」

心のコンディションを伝えるときは「疑心」です。

まとめ

まとめ

「疑念」「疑心」の違いを分かりやすくお伝えしました。

どちらも「怪しく思う・訝しく感じる」という共通した意味が込められています。

「疑念」は組織やグループの不正や汚職に用いられる表現です。

そして「疑念」は個人の不安定な気持ち、人間不信におちいっている状態をあらわしています。

それぞれの言葉の差をつかんで、日常会話に役立ててみてください。