この記事では、「琴線に触れる」と「逆鱗に触れる」の違いを分かりやすく説明していきます。
「琴線に触れる」とは?
感銘を受ける、感動する、共鳴をする心を楽器の琴線にたとえ、それに触れるという意味になっており、感動したなどの言葉の言い換えとして使うことが出来ます。
基本的にはポジティブな感情であることが多いですが、感動とともに悲しみを呼び起こされるというケースもありえます。
琴線に触れる場面が何度も会ったなどという使い方ができ、強く琴線に触れるという使い方はしません。
琴線に触れる対象に関しては音楽や小説や映画だけではなくあらゆるものに対してということが出来ます。
心の琴線に触れるという言い方も同じ意味で使うことができます。
怒りを買う、言ってはいけないことを言って怒らせてしまうと言った使い方は誤用です。
「逆鱗に触れる」とは?
げきりんにふれると読み、竜のあごの下にある逆さに生えた逆鱗という鱗に触れてしまい、激しい怒りを買ってしまうという言葉から転じ、天子(王様)の怒りに触れる、上司、目上の人などの機嫌を損ねてしまい、激しく怒られることとなっています。
口頭によるもの、ジェスチャーによるものなどが逆鱗に触れてしまう要因といえ、挑発する意図の有る無しに関係なく逆鱗に触れてしまうことがあります。
目上の人に使う言葉のため、先生が教え子の逆鱗に触れるという使い方はしません。
先生が校長先生の逆鱗に触れるという言葉は使うことが出来ます。
年下に対しては逆鱗に振れるという使い方はしないのが一般的ですが、年下の上司であれば目上の人にあたるため使うケースは存在しえます。
逆鱗に触れるという言葉はすでに激しい怒りを買っているという言葉のため、非常に逆鱗に触れるという使い方はしません。
「琴線に触れる」と「逆鱗に触れる」の違い
「琴線に触れる」と「逆鱗に触れる」の違いを、分かりやすく解説します。
どちらも比喩表現を持ったことわざで、自分を弦楽器に例えた琴線に触れる、竜を怒らせてしまったという伝承から来ている逆鱗に触れるですが、琴線に触れるは感動する、共鳴する、心が揺り動かされるという意味となっていて、逆鱗に触れるという言葉は目上の立場の人を激しくお駆らせるという意味になっており、用途自体が全く異なっています。
琴線に触れるという言葉はいわゆる作品と呼ばれるもの全てや風景などによって起こることがあります。
逆鱗に触れるというケースは怒らす意図があるかは関係なく、言ってはいけないことを言う、してはいけない行為をしたことに対する反応といえます。
まとめ
「琴線に触れる」と「逆鱗に触れる」はともに触れるという言葉ではあるものの感動すると言った意味の琴線に触れると目上の者の激しい怒りを買うという意味の逆鱗に触れるでは用途が重なるケースはまずなく、人によっては琴線に触れるが人によっては逆鱗に触れる作品というものもなくはないですが極端な例ということが出来るでしょう。