「待ちわびる」と「まちあぐむ」の違いとは?分かりやすく解釈

「待ちわびる」と「まちあぐむ」の違い言葉・カタカナ語・言語

この記事では、「待ちわびる」「まちあぐむ」の違いを分かりやすく説明していきます。

「待ちわびる」とは?

「待ちわびる」とは?

「待ちわびる」とは期待しているものが中々来ずに困ってしまい、それでもやきもきしながら来るのを待っているという状態です。

まだ来ないのか、早く来て欲しい、本当に来るか不安、そういった思いを抱きながら、それでも待つのをやめずに一日千秋の思いでそのものや時が来るのを待つことを指します。

待ち続けてはいるものの、待ち続けることに疲れてしまったり、待ち続ける不安や心配によって困ってしまっているという点が「待ちわびる」ことの特徴です。

ただし疲れや困ってしまうことがあっても、待ち続けること自体は決して諦めてはいない、まだ待ち続ける気持ちがあるというのも、「待ちわびる」という言葉を使うための条件と言えます。

「まちあぐむ」とは?

「まちあぐむ」とは?

「まちあぐむ」は待つことにうんざりしてしまうほど長い間待つことです。

待っているものがあまりにも来なさすぎてもう我慢の限界、これ以上は待てないという状態を「まちあぐむ」と言います。

あぐむという言葉が、それを続けていても良い結果が出なくてほとほと困り嫌になるという意味を持つ言葉です。

そのあぐむの目的語として待つを組み合わせた「まちあぐむ」は、待つことを続けていてもいい結果、つまり待っているものが来なくて嫌になってしまうという意味になります。

「まちあぐむ」はうんざりするほど長い間待つという意味でも使われますが、その意味は嫌になるほど待ちすぎたという所から転じて生まれた意味と言えるでしょう。

「待ちわびる」と「まちあぐむ」の違い

「待ちわびる」と「まちあぐむ」の違い

「待ちわびる」「まちあぐむ」の違いを、分かりやすく解説します。

「待ちわびる」は待っているものがなかなか来ずにやきもきしながら待ち続けることで、「まちあぐむ」はうんざりして嫌になるくらい長い間待つことです。

両者共に待ち続けることに困ってはいますが、待ち続けられるかどうかが両者の違いと言えます。

「待ちわびる」はやきもきして本当に来るか不安に思い心配しながらも待ち続けますが、「まちあぐむ」には待つのが嫌になるという意味もあるので、遠からず待つのをやめてしまいそう、待ち続けるのは難しいという意味合いを持つ言葉です。

待つことに疲れてきていても、まだ待ち続ける余裕があるのが「待ちわびる」であり、もう待ち続ける精神的な余裕がなくなってしまった状態が「まちあぐむ」と言えます。

また「待ちわびる」は待ち続けるという状態を指しますが、「まちあぐむ」は待つことにうんざりしたという状態だけでなく、長い間待ち続けたという事実を指すことにも使われるという点も、両者の大きな違いでしょう。

まとめ

まとめ

どちらも長い間待ち続けることであり、「まちあぐむ」は比較的耳にする機会が少ないのが、両者が混同される理由でしょう。

困りながらもまだ待つ余裕があるのが「待ちわびる」であり、余裕をなくし待ちたくなくなったら「まちあぐむ」と使い分けるべきです。