時代劇などでよく使われる表現に「天罰」と「天誅」があります。
日常ではまず使わないこの言葉はどのような意味なのでしょうか。
今回は「天罰」と「天誅」の違いについて解説します。
「天罰」とは?
「天罰」とは、「悪人を懲らしめるために天によって下される罰」を意味する言葉です。
「天罰」という表現は「超常的な力によって悪人に対し罰が下されること」を表しています。
一般的に罰といえば法的な刑罰や私的な報復など人間の手によって実行されるものを指しますが「天罰」は人の手によるものではありません。
「天罰」が表すのは具体的な罰ではなく「罰を下されても仕方がない悪人に対し運命や偶然によってもたらされるお仕置きだと解釈できる不幸な出来事」です。
例えば、悪事を犯していながら法の網をかいくぐり罪を償っていない人間に対し偶然雷が落ちて大ケガを追ったとします。
論理的に考えれば悪人であることと落雷とは無関係ですが、超常的な力を信じる人達からすると落雷は悪事の報いに映ります。
人の手による裁きから逃れる悪人に罰を下せる存在は神や仏など超常的な存在以外にありません。
そのような「超常的な存在によって悪人に下されると信じられている自然の災い」を指して「天罰」と表現します。
悪事を行えば必ず報いがあるという考えは世界各国で見られます。
似たような意味を持つ言葉として「因果応報」「自業自得」がありますが、どれも「運命によって自分が犯した罪の報いが自分自身に返ってくる」ことを意味する言葉です。
「天罰」の使い方
・『何かと悪いうわさがあった人物が急死したため天罰が下ったのだと噂されている』
・『そんな横暴を続けていればいつか必ず天罰が下る』
・『彼のこれまでの行状を考えれば身に起きた不幸はすべて天罰だと考えざるをえない』
・『ガラリと人柄が変わったところを見るとまさに天罰覿面である』
「天誅」とは?
「天誅」とは、「天によって悪人が殺されること」を意味する言葉です。
「正義の名のもとに悪人の命を奪うこと」を「誅する」といいます。
「天誅」とは「天が誅する」ことを意味しており「人智を超えた超常的な存在の力によって悪人が殺されること」を指す表現です。
一般的には神や仏などの超常的な存在が直接悪人に手を下すのではなく「天に変わって悪人を成敗すること」という意味で使われます。
神や仏などに変わり人間が直接悪人に手を下すことを意味しており「本来手を下すべき神や仏の代行として悪人を討つ」という大義を表す言葉として用いられます。
「天誅」の使い方
・『やりたい放題だった悪人に天誅が下される』
・『天誅を大義名分に屋敷に押し入った』
・『これはただの人殺しではなく天誅である』
・『天誅を行う自分に酔いしれるのは危険な徴候だ』
「天罰」と「天誅」の違い
「天罰」と「天誅」の違いは「殺すかどうか」です。
「天罰」は天によって下される罰を意味する言葉で殺されるだけでなくケガをしたり財産を失ったりなど悪事に対する報い全般を指します。
「天誅」は悪人が殺されることを意味する言葉で命が奪われなかった場合は使いません。
まとめ
「天罰」と「天誅」は運命のような超常的な力を前提にした表現です。
似たような意味ですが明確な違いがあるので間違えずに使い分けてください。