「倹約令」と「棄捐令」の違いとは?分かりやすく解釈

「倹約令」と「棄捐令」の違い専門用語・業界用語

江戸時代に行われた有名な三大改革とは享保の改革、寛政の改革、天保の改革ですが、その全てにおいて発令されたのが「倹約令」です。

この「倹約令」はその他の時代においても頻繁に発令されました。

それではこの「倹約令」とはどういうものでしょうか。

また、「棄捐令」との違いはどこにあるのでしょうか。

この記事では、「倹約令」「棄捐令」の違いを分かりやすく説明していきます。

「倹約令」とは?

「倹約令」とは?

「倹約令」とは、文字通り「倹約を命令する法律」であり、主に江戸時代において、身分制度の確立や幕府や家臣たちの財政状況の改善のために発令されたものです。

特に享保の改革以降では常時発令されていたと言われています。

内容としては、贅沢や華美を禁止するもので、着るものや住むところだけではなく、食べ物や趣味の世界に関しても厳しく取り締まりました。

しかし、その結果としては目的を達成するようなものにはなりませんでした。

「棄捐令」とは?

「棄捐令」とは?

「棄捐令」とは、最初は寛政の改革の一環として発令されたある意味では「金融改革」で、幕府に仕える旗本、御家人の財政を改善するために、当時札差という金融業者から借りていた借金を帳消しにするというものでした。

「棄捐」とは元々「絹を捨てる」という意味ですが、この時に使われた言葉としては「債務を捨てる」という意味でした。

「倹約令」と「棄捐令」の違い

「倹約令」と「棄捐令」の違い

「倹約令」「棄捐令」の違いを、分かりやすく解説します。

この2つは江戸時代に発令された「財政再建のための法律」であることは同じですが、そもそも誰に向けて出されたものかが違います。

すなわち、「倹約令」は主に一般の武士や商人、農民に向けて出された倹約を奨励するものであるのに対して、「棄捐令」とは、主に札差という金融業者に対して旗本、御家人に対する債権の放棄を命令したものです。

また、もう一つの大きな違いは「倹約令」が江戸時代の初期から末期まで何度も発令された一般的な令であるのに対して「棄捐令」は寛政の改革の中で発令されたものとその後の少ない回数出された限定されたものであるということです。

「倹約令」の例文

「倹約令」の例文

「倹約令」の例文は以下のようになります。

・『倹約令は江戸時代に頻繁に発令されていたため、後期においては発令していない時期の方が短いとも言われています』
・『倹約令の目的は幕府の財政の立て直しにある場合が多いと言えます』

「棄捐令」の例文

「棄捐令」の例文

「棄捐令」の例文は以下のようになります。

・『棄捐令は寛政の改革の一つとして老中松平定信によって考え出されたものです』
・『棄捐令が発令された後も、関係者の財政状況はあまり良くはなりませんでした』

まとめ

まとめ

この記事では、「倹約令」「棄捐令」の違いを、解説してきました。

序文でも述べたように三大改革は主に幕府や家臣の財政状況を改善するためのものとして非常に有名です。

しかし、最近ではこの三大改革という定義の仕方は水野忠邦が自分の改革を正当化しようとして考えたもので、当時は特にこの三つを並べて評価していた訳では無いということもわかって来ています。