「好敵手」と「宿敵」の違いとは?分かりやすく解釈

「好敵手」と「宿敵」の違い言葉・カタカナ語・言語

この記事では、「好敵手」【こうてきしゅ】と「宿敵」【しゅくてき】の違いを分かりやすく説明していきます。

「好敵手」とは?

「好敵手」とは?

自分と同等の力を持ち、競うのに不満のない相手という意味がある「好敵手」は、強すぎず、弱すぎないちょうどいい能力がある者ですので、戦う相手として文句がない相手になります。

力量が同等と感じる見た目の人や、知識を持つ者に対して使われている言葉で、腕相撲しても片方だけが圧倒的に勝つことなく、いい試合となりそうだと思ったり、身に付けている知識も同じ程度だと思われる相手であると最初から分かる人を敵にするわけです。

とくに、勝負事を始めるとき、相手を見て「この者は自分と同等な力であるか」という部分を見たとき、ちょうどいいと感じたときに「好敵手に見える」と認めて受け入れたり、「好敵手で戦いやすい」と思われる人と競うことで無理なく勝ち負けを決められますので、強い負荷を感じることなく競争できるのがいいと思う人の感情を表すときにも使える言葉です。

「宿敵」とは?

「宿敵」とは?

何度も戦っても勝てずに悔しい思いする敵対関係にある者を「宿敵」と言います。

長年にわたり何度も競ってきましたが、勝敗が見えない結果に苛立つ相手として忌み嫌う相手に対して使う言葉です。

どうにかして勝敗をつけたいと思っても、かねてからの敵も自分と同等の強さと根性を持ち合わせ、同格の力量であるためなかなか勝てずにいる相手を指します。

このような「宿敵」になる相手は過去にいざこざがあった者が多く、うまく仇をうてなかったために戦いを挑むのですが、いつも引き分けになり、はっきりした結果を出せずに終わるところに苛立つわけです。

使い方としては「唯一の宿敵となる者に出会う」で、人生において同格と思われる競争相手に出会い、勝てるか分からない不安な気持ちを持ちつつ、「勝ちたい」というやる気を持つ気持ちを伝えます。

「好敵手」と「宿敵」の違い

「好敵手」と「宿敵」の違い

「好敵手」「宿敵」の違いを、分かりやすく解説します。

見た目も能力も同格だと感じて、いい競争相手だと思う人を「好敵手」と言い、長年にわたって戦っていたというのに、どうも勝てない者へのライバル意識を持ったとき「宿敵」という違いがあります。

自分が戦えそうな相手として見えるところに好感度を持つ「好敵手」ですが、あくまでも敵であり、恋愛関係に発展する対象ではありません。

「宿敵」は最初から敵となる運命の相手にだけ使われている言葉です。

「好敵手」の例文

「好敵手」の例文

・『ゲームをプレイしていてやっと好敵手な相手が現れて俄然やる気がわく』
・『目の前の相手は好敵手だと思ったが、競ってみたらそうではなかったことに愕然とした』
何時間もゲームしていてなかなか同格の腕を持つゲーマーが見つからない状態が続いたとき、やっと自分の能力を試せる相手に出会えたことが嬉しいと感じます。

しかし、いざ競ってみたら弱くて呆気なく勝ってしまったり、強すぎてすぐに倒されてしまったとき、がっかりする気持ちを表せます。

「宿敵」の例文

「宿敵」の例文

・『何度戦っても宿敵には勝てない俺は心が折れそうだ』
・『宿敵であってもまたとない友になることがある』
何度戦っても勝敗がつかないため、もう戦う意欲を失ってしまう人もいますが、その「宿敵」が人生において心の友となり、やる気を出させたり、今以上に強くなろうという気力にさせる気持ちにさせる効果をもたらします。

まとめ

まとめ

競ったり、戦うときに使える「好敵手」「宿敵」についてご紹介しました。

自分にとっていい敵になりそうだと思う相手に出会ったときは「好敵手」と言い、ちっとも勝てない相手に対しては「宿敵」と使える言葉ですので、ライバル心を持って戦う意思を表す際に使うといいでしょう。