集団や国の中で下位にある人物が反抗したり離反する言葉としては「下剋上」や「謀反」があります。
この記事では、「下剋上」と「謀反」の違いを分かりやすく説明していきます。
「下剋上」とは?
「下剋上」とは下位の人や集団が上位の者に対して反抗する言葉であり、これは政治的なものから軍事的な行動まで幅広いものが存在します。
日本では特に戦が多くなってきた鎌倉時代から見られるようになり、以降の室町時代、戦国時代には非常に多くの「下剋上」が発生しました。
単純に上位の者に対して反抗するだけではなく、戦を伴って国を変えようという意識が存在するのが特徴であり、実行した人物が新しい主君となり国を治めることも多発しました。
戦国時代は様々な「下剋上」が行われたこともあり、多くの戦国大名が新しい国を治めることで時代は発展していきました。
「下剋上」をした当人がそのまま新しい大名となるケースも多くありましたが、元の主君の親族を新しい主君に擁立することもありました。
「下剋上」は政治的・軍事的な国盗りというケースと同時に、主君押し込めというケースの両方があり現代でも未だに議論されています。
「謀反」とは?
「謀反」とは国家や主君に対して背く行為や離反する行動を表す言葉です。
「謀反」とは一時的なものであり、その後に国や政治を動かそうという意志はあまりないのが特徴です。
「謀反」は朝廷に対する転覆や天皇の殺害などのテロ行為に対しても使われる言葉ですが、これが後の時代になると武士の主従関係に対する離反行為に対して使われるようになりました。
武士の主従関係は鎌倉時代から増えてきたものであり、主君に仕えている家臣の武士が離反して、武力や暴力的行為を用いて反抗することを「謀反」と呼ぶようになりました。
戦国時代になると様々な形でも家来の「謀反」が発生しましたが、特に有名なものとしては明智光秀が行った「謀反」がありこれは度々ドラマ化されています。
「下剋上」と「謀反」の違い
「下剋上」は主君大して政治的・軍事的な反抗することであり、主君を打倒して新しい国を治めるのが特徴です。
首謀者がそのまま新しい主君となる場合もありますし、古い主君の親族を新しい主君として擁立する場合も存在します。
「謀反」はこのような新しい国の統治という点は含まれておらず、あくまでも主君に対する家臣の反抗という意味のみで使われます。
「下剋上」の例文
・『戦国時代には様々な下剋上が行われたこともあり、研究がとても楽しいです』
・『挑戦者によって下剋上が起こり、将棋界は一気に戦国時代となった』
「謀反」の例文
・『家臣の謀反は失敗に終わり、彼は切腹を命じられた』
・『謀反によるテロ行為により、町は大きな被害を受けた』
まとめ
ドラマなどでもよくテーマになる「下剋上」や「謀反」ですが、新しく主君を立てて国を統治するのは「下剋上」のみとなります。
現代では「下剋上」はスポーツなどの勝負に対しても使われます。