人間の心の動きを意味する「惑溺」と「耽溺」。
この記事では、「惑溺」と「耽溺」の違いを分かりやすく説明していきます。
「惑溺」とは?
「惑溺」には、ものごとに夢中になり、本心を奪われるといった意味があります。
「惑溺」の状態になると、そのことに心を奪われた状態となり、何がただいいのかといった判断力まで失ってしまいます。
このように、心に迷いが生じ正しい判断ができない状態になること、心に迷いが生じ本心を失ってしまうことが「惑溺」となります。
「惑溺」とは、「没頭」や「凝る」といった状況と同じです。
「惑溺」の使い方
「惑溺」は、「惑溺する」や「惑溺している」、「惑溺性」などといった形で使用します。
「耽溺」とは?
「耽溺」には、一つのことに夢中になり、他を顧みないといった意味があります。
その行為は、決して褒められた行為ではなく、不健全な遊びに夢中になることを意味しています。
お酒やたばこ、ギャンブル、女遊びなど、一般的に体によくない、社会的によしとしない行為に対し用いられます。
このような行為に理性を失うほど、そのことにとらわれ、そのことに溺れてしまうことが「耽溺」です。
ものごとに夢中になるということは、決して悪いことではありませんが、「耽溺」に至っては、悪いことに夢中になることに限定し用いられる言葉となります。
「耽溺」とは、「ふける」や「溺れる」といった状況と同じです。
「耽溺」の使い方
「耽溺」は、「耽溺する」や「耽溺している」、「耽溺性」などといった形で使用します。
「惑溺」と「耽溺」の違い
どちらも、心を奪われるほど夢中になることを意味する言葉です。
そのうえで違いとしては、その度合いの違いとなり、「耽溺」と「惑溺」を比較した場合、「惑溺」の方が度合いは大きいといったものとなります。
そのため、度合いの違いを踏まえ2つの言葉を使い分けることになります。
「惑溺」の例文
・『惑溺性のある飲み物と言えば、アルコール以外にコーヒーや紅茶といった飲み物が挙げられます』
・『スマホゲームに惑溺する夫には、嫌気がさします』
・『好きな人にすぐに惑溺してしまう姉のことが心配です』
・『惑溺性のある食べ物が好みの私にとって、食事制限によるダイエットは苦痛でしかありません』
「耽溺」の例文
・『スマホゲームに耽溺した夫は、課金する額も増え、とうとう、生活費にまで手を付けるようになってしまいました』
・『軽い気持ちで始めたパチンコに耽溺してしまった過去があります』
・『酒や女に耽溺するような人とは結婚してはいけない、とずっと母に言われ続けてきました』
・『オンラインゲームに耽溺するあまり大学をさぼりがちになり、留年してしまいました』
まとめ
どちらも、あまり耳にしない言葉ですが、以上のように似たような意味を持つ言葉となります。
そのうえで、度合いを比較し、どちらが適した言葉なのか考え使い分ける必要があります。