「天衣無縫」と「天真爛漫」の違いとは?分かりやすく解釈

「天衣無縫」と「天真爛漫」の違い言葉・カタカナ語・言語

人の性格を表す四字熟語には色々な種類がありますが、天という漢字を使ったものとしては「天衣無縫」「天真爛漫」が有名です。

この記事では、「天衣無縫」「天真爛漫」の違いを分かりやすく説明していきます。

「天衣無縫」とは?

「天衣無縫」とは?

「天衣無縫」とは物事や性格、作品などが自然な姿をしていることを表す言葉であり、ありのままの状態で完成されていることを意味します。

この言葉の由来は天に住む神様や天女の来ている天衣があまりにも完璧であり、まるで縫い目がないような技巧であったことから生まれました。

天人や天女の衣に不自然な箇所や縫い目がないように、様々な物事や作品において不自然な技巧や加工がない状態を「天衣無縫」と例えることになりました。

「天衣無縫」は人為的な技巧やテクニックを使っていない自然な表現であり、ありのままの純粋さや無邪気な感情があふれ出ているものも多く独特な作品として評価されることが多いのが特徴です。

また振る舞いや性格が自然な様に対しても「天衣無縫」を使うことが可能であり、こちらは子供の自由な行動や性格に対して用いられます。

「天真爛漫」とは?

「天真爛漫」とは?

「天真爛漫」とは主に人の無邪気で悪意がない自然な性格を表す言葉であり、こちらは子供に対してよく使われる言葉として有名です。

「天真爛漫」は非常に明るい性格を持っており、自由な行動や発想するのが特徴であり、大人の世界に影響されていない無垢な子供が持ち合わせていることが多いのが特徴です。

純粋でありながら太陽の輝きのように爛漫と明るい性格という特徴を持っていることから、周囲の人間や大人にもよい影響を与えることも多い性格となっています。

「天真爛漫」は子供っぽい性格と思われがちですが、よい例えとして大人の性格にも使うことが可能です。

「天衣無縫」と「天真爛漫」の違い

「天衣無縫」と「天真爛漫」の違い

「天衣無縫」とは天上の衣のように不自然な箇所がなく自然体で表現されている物事や性格に対して使う言葉です。

「天衣無縫」は人生や生活に対する目標とすることが可能であり、老若男女を問わず使うことが可能です。

「天真爛漫」は無邪気で悪意のない性格を表す言葉であり、こちらは主に子供の性格を表す時に使います。

「天真爛漫」は自然体の姿や性格を表すものであり人為的に成ることは意義に反することから、目標として使うことは不可能です。

「天衣無縫」の例文

「天衣無縫」の例文

・『その仏像はまさに天衣無縫の極みとして完成されています』
・『天衣無縫と呼ばれた棋士の一手は非常に素早いものであり、思考回路がどうなっているのか気になりました』

「天真爛漫」の例文

「天真爛漫」の例文

・『妹は天真爛漫な性格なので、大人に騙されないか心配だ』
・『天真爛漫に育った娘は上京してから、定期的にホームシックに掛かっている』

まとめ

まとめ

人間にとって天は非常に広く神様がいる場所として考えられてきました。

このような考え方から「天衣無縫」「天真爛漫」という言葉が作られたという説もあり、どちらも天のような自然体を表す点が共通しています。