犯罪の可能性があるにもかかわらず事件を起こすケースとしては「未必の故意」と「認識ある過失」があります。
この記事では、「未必の故意」と「認識ある過失」の違いを分かりやすく説明していきます。
「未必の故意」とは?
「未必の故意」とは犯罪や事件が起こる可能性が予測できる状態で、それが発生しても構わないと考えてしまう考え方を表す言葉です。
実際に事件や犯罪が起きても構わないと思ったり、自分が犯罪に手を染めても結果的に問題ないという考え方が存在するために、この動機は故意であると認められます。
自分の行動や欲望に対して最初は犯罪や事件を犯すことは考えていなくても、途中でもし犯罪行為すればそれを満たすことが可能と考えて実行に移した場合には「未必の故意」が適応されます。
このように最初は犯罪行為や殺意を抱かない場合でも、途中で「未必の故意」として意図的に行動を取った場合には故意犯として認定され刑罰の対象となります。
「認識ある過失」とは?
「認識ある過失」とは犯罪や事件が起こる可能性が予測できる状態で、これが起こっても大丈夫だろうと思う考え方を表す言葉です。
犯罪や事件が起こっても構わないという考え方ではなく、被害や規模が少なくなるだろうという認識に基づいて行動を起こすために、こちらは故意ではなく過失として認められます。
犯罪や事件が起こっても大丈夫だろうという考え方は、自分に対する過度な自信や、他人に対する希望的予測などに基づいています。
小さな事件ならば起こらないだろうという考え方や、暴力行為に対して死ぬことはないだろうという考え方は「認識のある過失」として認められ適した法律で裁かれます。
「未必の故意」と「認識ある過失」の違い
「未必の故意」と「認識ある過失」はどちらも犯罪や事件が起こる可能性を予測したり把握した状態で起こる行動です。
「未必の故意」は犯罪や事件が起こっても構わないと考えますが、「認識のある過失」は犯罪や事件が起こらないと考えるために、この2つは法律的な解釈が大きく異なります。
前者は故意犯であり後者は過失犯なので当然刑罰や法的措置が異なりますが、法律に詳しくない人だとこれを判断するのは中々難しいものとなっています。
「未必の故意」の例文
・『調査が進み、彼の行為は未必の故意があると推定された』
・『未必の故意があると思われた事件は、思わぬ参考人の発言によって覆された』
「認識ある過失」の例文
・『周りに誰もいないので赤信号を渡ったケースは、認識のある過失と判断できます』
・『認識のある過失として故意は認められないが、被害者は怒り心頭で加害者に詰め寄った』
まとめ
法律用語である「未必の故意」と「認識ある過失」は犯罪や事件が起こっても構わないとという考え方と、まさか起こるはずがないという相反する考え方となっています。
故意犯と過失反はそれぞれ法律的な対処や刑罰が大きく異なるために、弁護士さんによく相談するが大切です。